平安時代の出来事・政治・文化に関するまとめと問題です。
桓武天皇が平安京に都を移し、平安時代がスタートします。平安時代は貴族が活躍した時代です。
- 平安時代の流れ(年表)を知りたい
- 摂関政治と院政ってどんな特徴があるの?
- 年号の語呂合わせを知りたい
- 天台宗と真言宗の違いと覚え方は?
という方におすすめです。
平安時代の年表
平安時代の流れを年表で見てみましょう。
- 794年 桓武天皇が都を平安京にうつす
- 801年 坂上田村麻呂が蝦夷征討
- 805年 最澄が天台宗を開く
- 806年 空海が真言宗を開く
- 858年 藤原良房が摂政に
- 887年 藤原基経が関白に
- 894年 遣唐使の廃止(菅原道真の進言による)
- 905年 古今和歌集(最初の勅撰和歌集)
- 935年 平将門の乱(関東)
- 936年 高麗が朝鮮を統一
- 939年 藤原純友の乱(瀬戸内海)
- 960年 中国で宋がおこる
- 996年 清少納言「枕草子」が完成する
- 1011年 紫式部「源氏物語」が完成する
- 1016年 藤原道長が摂政になる
- 1051年 前九年の役(~1062年)
- 1052年 藤原頼通が平等院鳳凰堂を建立
- 1083年 後三年の役(~1087年)
- 1086年 白河上皇が院政を開始
- 1156年 保元の乱
- 1159年 平治の乱
- 1167年 平清盛が武士で初の太政大臣に
- 1185年 壇ノ浦の戦いで源氏が勝利、平氏が滅亡
平安時代 年号語呂合わせ
- 鳴くよ(794)うぐいす平安京
- ちょっと強引(1051)前九年の役
- 後三年の役で、戦闘止み(1083)
- 草越(935)しに将門がいる
- 純友さんは、くさく(939)ない
- 保元の乱でいいころ(1156)だ
- 清盛いいコック(1159)平治の乱
- 清盛さん、大臣になれていいだろうな(1167)
平安時代の政治
桓武天皇は都を平安京にうつしたのが794年です。
東北では阿弖流為(アテルイ)が率いる蝦夷(えみし)が勢力をもち、坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命され、阿弖流為らを抑えました。
平安時代は摂関政治と、院政が行われたことも特徴です。
摂関政治
藤原良房が摂政になったのは858年(866年説もあります)ですが、皇族以外で天皇の補佐をする摂政になったのは藤原良房が初めてです。
藤原氏は自分の娘を天皇のきさきにして、天皇が子どものうちは摂政に、大人になったら関白の位について、政治の実権を得ました。このような政治を摂関政治といいます。
特に藤原道長・頼通(よりみち)のときが、摂関政治の最盛期とされています。
「この世をばわが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」という道長の句が有名です。「この世は自分の思い通りになると思う、満月が欠けることがないと思うように」という内容から、道長が栄華を極めていた象徴ともとらえられます。
道長の息子、藤原頼通は平等院鳳凰堂を建てたことでも知られています。
院政
藤原氏の栄華にも陰りが見える中、白河天皇は位をゆずった後も白河上皇・法皇として政治の実権を握り、院政を行いました。院とは上皇の住む場所を指します。鳥羽天皇、後白河天皇も天皇をゆずった後上皇になり、院政を行いました。
平家物語には、白河法皇が「加茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と言ったと記されています。
水害の多い賀茂川の水と双六の賽の目、僧兵だけは、白河法皇の思い通りにならなかったということを示しています。
白河上皇は院の御所の北面に北面の武士(ほくめんのぶし)を設置し、対抗勢力や延暦寺、興福寺などから守ろうとしました。
武士のおこりと台頭
地方では豪族が自分たちの土地を守るために、武装するようになりました(武士のおこり)。朝廷、貴族の警備も任されるようになり、力のある武士を中心に武士団が形成されます。
平将門の乱と藤原純友の乱
朝廷に反乱をおこす武士もあらわれ、関東では平将門の乱(935年)、瀬戸内では藤原純友の乱(939年)が起こります。これらの反乱は武士団によっておさめられました。
前九年の役と後三年の役
平安時代の末期にには、天皇の子孫である源氏と平氏が台頭してきます。源氏は東北で起こった反乱・争いをしずめました。
前九年の役(1051~1062年)安倍氏の反乱を源頼義、義家がおさえる。
後三年の役(1083~1087年)清原氏の一族争い、源義家が助けた清原清衡が勝つ。
保元の乱と平治の乱
保元の乱は崇徳上皇と後白河天皇の権力をめぐる対立で、源氏や平氏も加わって大きな争いとなりました。平治の乱は保元の乱で勝利した平清盛と源義朝(よしとも)が争い、平清盛が勝利、平氏が強い力を持つようになりました。
保元の乱(1156年)後白河天皇側が勝利
後白河天皇・藤原忠通・平清盛・源義朝 × 崇徳上皇・藤原頼長・平忠正・源為義・源為朝
平治の乱(1159年)平清盛が勝利 平清盛 × 源義朝
平清盛と平氏の滅亡
平清盛は後白河上皇の院政を助け、武士で初めて太政大臣になるほど権力を持ちました。「平氏にあらずんば人にあらず」と平氏の人間が言うほどに平氏は栄えました。
しかし源義朝の子である源頼朝が1180年に平氏打倒のために兵を挙げ、1185年壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼしました。頼朝の弟である源義経も活躍しましたが、その後頼朝と対立、追い込まれて自ら命を絶ちました。
平安時代の外交
平安時代では中国では唐に代わって宋がおこり、朝鮮半島では新羅に代わって宋が起こりました。
遣唐使の廃止
唐の情勢が良くないことを知った菅原道真は遣唐使の廃止を提案、894年に遣唐使が廃止されます。「白紙(894)に戻そう遣唐使」の年号の語呂合わせが有名です。
日宋貿易
平安時代末期、平清盛は父から引き継ぎ宋と貿易を行います。大輪田泊(おおわだのとまり)を再開発し、日宋貿易の拠点に。宋銭が多く輸入されたことで貨幣経済の発展にも貢献したと言われています。
なお、大輪田泊は奈良時代活躍した僧の行基が建設したとされています。
平安時代の文化と宗教
平安時代は日本独自の文化が発展、かな文字が作られさまざまな文学作品が作られます。
国風文化
遣唐使の廃止により、日本独自の文化が発展したのが平安時代の特徴です。この文化を国風文化といいます。
- かな文字…漢字をもとに作られた日本独自の文字、女性作家の活躍につながる
- 竹取物語、源氏物語(紫式部)、
- 枕草子(清少納言の随筆)、土佐日記(紀貫之)、紫式部日記、更級日記(菅原孝標の女)
- 今昔物語集
- 古今和歌集…最初の勅撰和歌集
- 寝殿造の流行…平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)
- 大和絵
- 絵巻物
天台宗と真言宗 違いと覚え方
平安時代の初期、唐から帰ってきた最澄(さいちょう)、空海は新しい仏教を開きます。
- 天台宗…最澄、比叡山(滋賀県) 延暦寺、釈迦如来が本尊
- 真言宗…空海、高野山(和歌山県) 金剛峯寺(こんごうぶじ) 、大日如来が本尊
空海は弘法大師(こうぼうだいし)の名でも知られています。
【覚え方】天才[最]の真空(パック)
浄土信仰
浄土信仰は平安時代に貴族や庶民の間で流行った信仰です。念仏を唱えることで、死後に阿弥陀如来のいる極楽浄土に行くことができると信じられた信仰です。藤原頼通が建てた平等院鳳凰堂も、浄土信仰をもとに建てられたものです。
【問題編】平安時代の基本まとめ
次の問いに答えましょう。
問1 794年に都を平安京にうつした天皇はだれですか。
▼答え問2 801年、東北地方の蝦夷征伐に成功した征夷大将軍はだれですか。
▼答え問3 ( )に入る語句を答えてください。
805年に( )は天台宗を開き、比叡山に( )寺を建てた。806年、( )は真言宗を開き、高野山に( )寺を建てた。
▼答え問4 藤原氏が自分の娘を天皇のきさきにして、天皇が子どものうちは摂政に、大人になったら関白の位について、政治の実権を得た政治のことを何といいますか。
▼答え問5 白河天皇は天皇の位をゆずった後上皇となり、政治を行いました。このような政治を何といいますか。
▼答え問6 1016年に摂政となり、その子とともに藤原氏の全盛期を築いたのは誰ですか。
▼答え問7 問6の子であり、平等院鳳凰堂を建てたのは誰ですか。
▼答え問8 源氏物語を書いたのは誰ですか。
▼答え問9 清少納言が書いた有名な随筆は何ですか。
▼答え問10 935年、関東で反乱を起こした武士は誰ですか。
▼答え問11 939年 、瀬戸内海で反乱を起こした武士は誰ですか。
▼答え問12 1051~1062年と1083~1087年に東北で起きた反乱・争いを源氏がしずめました。それぞれ何といいますか。
▼答え問13 1159年、平清盛と源義家が争い、清盛が勝利した戦いを何といいますか。
▼答え問14 平清盛が大輪田泊を整備して行った、中国との貿易を何といいますか。
▼答え問15 1185年、源氏により平氏が滅ぼされた戦いを何といいますか。
▼答えまとめ
- 摂関政治 → 院政 → 武士の台頭(平氏の台頭)
- 摂関政治は藤原道長・頼通のとき最盛期
- 院政は白河天皇(上皇・法皇)のとき
- 武士の台頭(各地で乱、戦が起きる)
⇒平将門の乱(935年、関東)と藤原純友の乱(939年、瀬戸内海)
⇒前九年の役(安倍氏)と後三年の役(清原氏)
⇒保元の乱(1156年、平清盛・源義朝側勝利)と平治の乱(1159年、清盛勝利、義朝負け)
⇒壇ノ浦の戦い(1185年、平氏の滅亡) - 国風文化 … 源氏物語(紫式部)、枕草子(清少納言)、土佐日記(紀貫之)、古今和歌集、寝殿造、平等院鳳凰堂
- 天台宗(最澄・比叡山延暦寺)と真言宗(空海・高野山金剛峯寺)