今回は明治時代、内閣の発足から大日本帝国憲法の発布、帝国議会が開かれるまでの流れを見ていきます。
政府は不平等条約改正に向けて欧化政策をとる中、憲法制定と議会の開設により近代的な国家を作り上げていきます。
大日本帝国憲法の特徴と日本国憲法との違い、帝国議会の二院制について、当時の衆議院選挙についても確認します。
明治時代(1885-1891年)年表
1885年の内閣発足から、帝国議会が開かれた翌年1891年までの出来事を確認してみましょう。
- 1885年 第1次内閣発足(初代総理:伊藤博文)
- 1886年 ノルマントン号事件
- 1888年 枢密院の設置
- 1889年 大日本帝国憲法発布
- 1890年 衆議院議員選挙/板垣退助が立憲自由党を結成/教育勅語が出される/第1回帝国議会が開かれる
- 1891年 大津事件/立憲自由党が自由党に改称
年表にはありませんが、1880年代には欧米の制度・文化を取り入れ、条約改正の実現を目指す欧化政策が外務大臣井上馨によってとられます。
1883年には井上馨により鹿鳴館が開館され、外交官などの接待に使われましたが、批判もありました。
そんな中、1886年にイギリス船商船が遭難、日本人乗客全員が死亡したがイギリス人船長・乗組員が全員無罪になるという事件が起きました(ノルマントン号事件)。
大日本帝国憲法の特徴
1889年2月11日に大日本帝国憲法が発布されました。
- 大日本帝国憲法はドイツ(プロイセン)の憲法を参考にした。
- 伊藤博文(初代内閣総理大臣)が草案を作成。
- 主権は天皇。軍隊の指揮権も天皇にあった。
- 国会は衆議院と貴族院。
- 臣民(国民)の自由と権利は法律の範囲内で許される。
- 兵役・納税の義務。
大日本帝国憲法は、君主権が強かったドイツ(プロイセン)の憲法を参考にしました。
伊藤博文は枢密院を設置、憲法草案のための意見の場としました。井上毅らの助言も参考に、大日本帝国憲法の草案を作りました。
年号語呂合わせ:いちはやく(1889)大日本帝国憲法を発布!
(参考)大日本帝国憲法と日本国憲法の違い
大日本帝国憲法 | 日本国憲法 | |
---|---|---|
憲法の種類 | 欽定憲法 (天皇が制定) |
民定憲法 |
主権 | 天皇 | 国民 |
天皇 | 国の元首 神聖不可侵 |
象徴 |
人権 | 臣民の権利は法律の範囲内で守られる | 基本的人権の尊重 |
国民の義務 | 納税・兵役 | 勤労・納税・教育を受けさせる |
大日本帝国憲法には書かれていませんが、憲法発布の翌年出された「教育勅語」で、忠君愛国の精神と教育の義務が示されました。
帝国議会
大日本帝国憲法が発布された翌年の1890年に、第1回帝国議会が開かれました。
衆議院と貴族院
帝国議会は今の国会と同様二院制でしたが、貴族院(上院)と衆議院(下院)分かれていました。
貴族院は選挙は行わず、皇族・華族から構成されていました。解散もありませんでした。伊藤博文、大隈重信は貴族院議員です。(最後の将軍、徳川慶喜も貴族院議員を務めました。)
衆議院は選挙で選ばれた議員で構成され、士族・平民から選ばれました。第1回衆議院議員選挙では板垣退助の立憲自由党が第1党に、第2党が大成会、第3党が大隈重信の立憲改進党でした。
ちなみに板垣退助は華族なので衆議院議員にはなれませんでした。議員にはなりませんでしたが、後に入閣を果たします。
衆議院の選挙権
当時の選挙は制限選挙で、直接国税が15円以上の、満25歳以上の男性のみが選挙権を持ちました(全人口の約1%)。当時農村部の方が資産を持っている人が多く、農村部の選挙は激戦になりました。
その後は納める国税額が10円、3円と引き下げられ、普通選挙法が成立するお国税の納入額にかかわらず満25歳以上の男子すべてに選挙権が与えられます。
【参考】帝国議会と国会の違い
帝国議会 | 国会 | |
---|---|---|
憲法 | 大日本帝国憲法 | 日本国憲法 |
二院制 |
|
|
選挙権 | 25歳以上の男子、直接国税15円 → 25歳以上の男子 |
20歳以上の男女 → 18歳以上の男女 |
被選挙権 | 30歳以上の男子、直接国税15円 → 30歳以上の男子 |
|
選挙 | 衆議院のみ4年ごとか解散後 |
|
【問題編】明治時代「大日本帝国憲法・帝国議会」
問1 1885年に第1次内閣が発足しましたが、初代内閣総理大臣は誰でしたか。
答えを確認問2 大日本帝国憲法は誰が中心になって草案を作りましたか。
答えを確認問3 大日本帝国憲法の草案を審議するために設置された、「憲法の番人」とも呼ばれた機関は何ですか。
答えを確認問4 大日本帝国憲法は何年の何月何日に発布されましたか。
答えを確認問5 大日本帝国憲法はどの国の憲法が参考にされましたか。
答えを確認問6 なぜ問5の国の憲法を参考にしたのですか。
答えを確認問7 大日本帝国憲法では主権は誰にありましたか。
答えを確認問8 大日本帝国憲法では軍隊の指揮権は誰にありましたか。
答えを確認問9 大日本帝国憲法では、国民は君主に支配されている国民という意味で、何と呼ばれましたか。
答えを確認問10 大日本帝国憲法では、国民の自由や権利はどのように定められていましたか。
ア 自由は権利は認められない。
イ 法律の範囲内で許される。
ウ 生まれながらに自由と平等の権利を持っている。
答えを確認問11 大日本帝国憲法で定められた、国民の義務を2つ答えなさい。
答えを確認問12 1890年に発布された、忠君愛国の精神、教育の義務が示されたものを何といいますか。
答えを確認問13 帝国議会では二院制がとられていた。皇族・華族から構成されていた院を答えなさい。
答えを確認問14 帝国議会で選挙で選ばれた議員で構成される院を何といいますか。
答えを確認問15 問14の議員の選挙権は、直接国税( ① )円以上の、満( ② )以上の( ③ )に限られました。( )に入る数字、語句を答えなさい。
答えを確認まとめ
明治時代は幕末に結んだ不平等条約を改正するため、富国強兵、欧化政策がとられました。
自由民権運動が高まる中、政府は国会開設を約束。ドイツ(当時のプロイセン)の憲法を参考に君主権の強い大日本帝国憲法を発布、ついに帝国議会が開かれました。
大日本帝国憲法 … 天皇主権、臣民の権利は法律の範囲内で守られる
国会(帝国議会)…二院制(貴族院と衆議院)、衆議院議員の選挙権は直接国税15円以上、満25歳以上の男子
なぜ大日本帝国憲法ではドイツの憲法を参考にしたのか、憲法が発布された年月日もテストでよく問われます。