平安時代後期には武士が台頭し、ついには政治の実権を握り鎌倉時代が始まります。源頼朝が鎌倉幕府を開きましたが、源氏の将軍は3代で途絶え、実権は北条氏が握るようになります。しかしやがて武士が幕府に反感を抱くようになり、鎌倉幕府は倒されてしまいます。
今回は鎌倉時代の年表、政治や文化、仏教を確認、基本事項を学習できたら確認問題で学習内容が身についたかチェックしてみましょう。
鎌倉時代の出来事と年表
鎌倉時代にどのような出来事があったのか、年表で見てみましょう。
1185年 壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡する
源頼朝が全国に守護・地頭を設置
1192年 源頼朝が征夷大将軍に任命される
1203年 源実朝が将軍になる(北条時政が執権に就任)
1219年 源実朝が公暁に暗殺される
1221年 承久の乱
六波羅探題の設置
後鳥羽上皇が隠岐に流される
1224年 北条泰時が執権に就任
親鸞が浄土真宗を開く
1227年 道元が曹洞宗を開く
1232年 御成敗式目(貞永式目)が制定される
1253年 日蓮が日蓮宗を開く
1272年 後嵯峨上皇の崩御 → 持明院統・大覚寺統の対立
1274年 元寇(文永の役)
一遍が時宗を開く
1281年 元寇(弘安の役)
1297年 永仁の徳政令が出される
1318年 後醍醐天皇が即位
1324年 正中の変
1331年 元弘の変
1333年 鎌倉幕府が滅亡する
1334年 建武の新政が始まる
源頼朝が鎌倉幕府を開きましたが、3代将軍実朝が殺されてしまいます。跡継ぎがいなかったため源氏の将軍は3代で途絶え、実権は将軍の補佐役である執権を務めた北条氏が握るようになります。
鎌倉幕府の成立としくみ
源頼朝が平氏を倒し、1185年に守護を国ごとに、地頭を荘園・公領ごとに設置します。(頼朝は鎌倉を拠点にしていました。)1192年に征夷大将軍になります。頼朝の妻が北条政子、その父が北条時政で、初代の執権になります。
もともと北条時政は頼朝の監視役(平治の乱)でした。時政は政子と頼朝の結婚に当初は猛反対したそうです。
御恩と奉公
将軍と御家人は御恩と奉公の主従関係で結ばれていました。(御家人は将軍と主従関係を結んだ武士のこと)
御恩(将軍→御家人)… 領地を与え、保護する
奉公(御家人→将軍)… 幕府、京都の御所を警備
鎌倉幕府のしくみ
将軍の補佐役として執権が、中央には侍所(さむらいどころ)、政所(まんどころ)、問注所、地方には守護、地頭が置かれました。京都には六波羅探題(ろくはらたんだい)が承久の乱の後に置かれます。
鎌倉幕府の執権政治
3代将軍源実朝が殺され、頼朝の妻北条政子の一族である北条氏が執権として政治の実権を握るようになります。この北条氏による政治を執権政治といいます。
頼朝の子である2代将軍頼家と3代将軍実朝が殺され、源氏が3代で途絶えたため、その後は将軍は公家の中から選ばれました。北条政子は4代将軍藤原頼経の後見人になります。(政子は尼将軍と呼ばれ、政治の実権を握りました。)
鎌倉時代の出来事
承久の乱
1221年、後鳥羽上皇が倒幕のために挙兵します(承久の乱)が、幕府に敗れて隠岐に流されます。このとき北条政子の演説が御家人たちの心をとらえ、朝廷と戦ったと伝えられています。このときの執権は北条義時です。
この事件をきっかけに、京都の監視のため六波羅探題が設置されました。
御成敗式目(貞永式目)
1232年、執権の北条泰時が御成敗式目(貞永式目)という武士のための裁判の基準(法令)を制定しました。
元寇と幕府の衰退
チンギス・ハンがモンゴル帝国を1206年に建国、孫のフビライ・ハンの代に国号を元とし、日本に従属を求めて2度にわたり軍を送りました。これを元寇といい、1274年(文永の役)と1281年(弘安の役)に元軍が攻めてきました。このときの執権が北条時宗です。
文永の役で元軍は火薬を使った集団戦法で攻めてきて日本側は不利でしたが、暴風雨に助けられ元軍は引き上げました。弘安の役でも暴風雨のため元軍は上陸もかないませんでした。
御家人の不満
元寇での恩賞が不十分であること、領地が狭くなったこと、借金を帳消しにする徳政令が出されたことで借金しにくくなったことなどが原因で、御家人が幕府に不満を持つようになりました。
1297年 永仁の徳政令 → 皮肉な(1297)徳政令
鎌倉幕府の滅亡
後醍醐天皇が倒幕を計画、足利尊氏、新田義貞の協力により鎌倉幕府が倒されました。
鎌倉時代の文化・仏教・農業・産業
鎌倉時代には武士の時代らしい文化や仏教がおこりました。また二毛作が行われるようになったり、定期市が開かれるなど、農業・産業が発達しました。
鎌倉時代の文化
文学
「新古今和歌集」…藤原定家ら(定家は小倉百人一首の撰者です。)
「平家物語」…軍記物、琵琶法師が語り伝えた
「方丈記」…随筆、鴨長明
「徒然草」…随筆、吉田兼好
三大和歌集は以下の3つです。
・万葉集…奈良時代、大伴家持が編纂に関わった?山上憶良「貧窮問答歌」など
・古今和歌集…平安時代、紀貫之ら編集、最初の勅撰和歌集
・新古今和歌集…鎌倉時代、藤原定家ら編集、勅撰和歌集
三大随筆は以下の3つです。
・枕草子… 平安時代、清少納言
・方丈記…鎌倉時代、鴨長明
・徒然草…鎌倉時代、吉田兼好(兼好法師)
建築
東大寺南大門…重源(ちょうげん)
金剛力士像(東大寺南大門)…運慶・快慶
鎌倉時代の仏教
鎌倉時代にはさまざまな仏教の宗派が生まれます。
浄土宗 | 法然 | 念仏(南無阿弥陀仏) | |
浄土真宗(一向宗) | 親鸞 | 悪人正機説 | |
時宗 | 一遍 | 踊り念仏 | |
日蓮宗 | 日蓮 | 法華経、題目(南無妙法蓮華経) | |
禅宗 | 臨済宗 | 栄西 | 幕府の保護を受けた |
曹洞宗 | 道元 | 只管打坐(しかんたざ) |
鎌倉時代の仏教の覚え方(語呂合わせ)
日蓮 → 日蓮宗はそのままで覚えやすいのですが、他にもたくさんあって覚えづらいかもしれません。下のような語呂合わせで覚えるのも良いでしょう。
情報に興味津々、いっぺん踊ろうえりちゃん大騒動
情報に(浄土宗 → 法然)
興味津々(浄土真宗 → 親鸞)
いっぺん踊ろう(一遍 → 踊り念仏[時宗])
えりちゃん(栄西 → 臨済宗)
大騒動(曹洞宗 → 道元)
鎌倉時代の農業
鎌倉時代の農業では鉄製の農具、牛馬での農耕や草木灰(肥料)が利用されるように、農作業が効率的になりました。また、米の裏作に麦を作る農業(二毛作)も鎌倉時代に始まりました。
草木灰とは?
草木を燃やした後の灰。カリウム、石灰分が含まれていて肥料になります。
漆、桑、茶などの商品作物の栽培も始まりました。
農民たちは荘園領主に年貢を納め、地頭にも労働させられ、荘園領主と地頭の二重支配に苦しんでいました。
鎌倉時代の農業ポイント … 鉄製の農具、牛馬での農耕、草木灰(肥料)、二毛作
鎌倉時代の産業
・手工業の発達 … 鉄製の農具、武具、染め物
・定期市の開催 … 寺社の前など交通の便の良い所で、月に3日(三斎市)
鎌倉時代の定期市は月に3日の三斎市が、室町・江戸時代には月に6日の六斎市が開かれました。
【問題編】鎌倉時代の基本事項
問1 1185年、源頼朝が国ごと、荘園ごとに置いたのはそれぞれ何という役職か。
▼答え問2 御家人は将軍に領地を認められ、守護や地頭に任命された。これを何というか。
▼答え問3 鎌倉幕府で御家人の統率を行った中央の組織を何というか。
▼答え問4 鎌倉幕府初代執権で北条政子の父はだれか。
▼答え問5 1221年、後鳥羽上皇が起こした幕府への反乱を何というか。
▼答え問6 問5の事件と同じ年に、朝廷の監視のために京都に置かれた役所を何というか。
▼答え問7 1232年、執権の北条泰時が定めた武士のための法令を何というか。
▼答え問8 元軍が1274年と1281年に2度にわたって攻めてきたことを何というか。
▼答え問9 問8のときの執権は誰か。
▼答え問10 問8について、1274年を( )の役、1281年を( )の役と呼ぶ。
( )に入る語句を答えなさい。
▼答え問11 1297年、御家人を救済するために出された、借金を帳消しにするという法令を何というか。
▼答え問12 次の(1) ~ (5)の仏教の宗派を開いた人物を下から選びなさい。
一遍 ・栄西 ・親鸞・道元・法然
(1) 浄土宗 (2) 浄土真宗 (3) 時宗 (4) 臨済宗 (5) 曹洞宗
▼答え問13 東大寺南大門にある運慶・快慶らの作品を答えなさい。
▼答え問14 鴨長明が書いた随筆を何というか。
▼答え問15 徒然草を書いたのは誰か。
▼答え問16 平家物語はどのような人たちに弾き語りで語り伝えられたか。
▼答え問17 藤原定家らにより編集された鎌倉時代の勅撰和歌集で、三代和歌集の一つになっているものは何か。
▼答え問18 鎌倉時代には米の裏作に麦が作られるようになった。このような農業を何というか。
▼答え問19 鎌倉時代に使われるようになった、草木を焼いた肥料を何といいますか。
▼答え問20 寺社の前や港、宿場町など交通の便が良い所で商人が商売を行った市を何といいますか。
▼答えまとめ
鎌倉時代の出来事、政治、文化などの基本事項を確認してきました。流れをつかむことはできたでしょうか。
中央・地方の政治のしくみ、執権政治、鎌倉幕府が衰退した背景、新しい仏教の宗派と文化の特徴など、しっかり押さえておきましょう。
- 源頼朝が1185年に守護・地頭を全国におき、1192年に初代将軍に
- 三代将軍実朝が殺され、北条氏の執権政治が始まる
- 1221年承久の乱 → 六波羅探題の設置
- 1232年 北条泰時が御成敗式目(貞永式目)制定(裁判の基準)
- 元寇(1274年文永の役、1281年弘安の役)
- 1297年 永仁の徳政令 → 御家人の暮らしはよくならず、不満が高まる
- 文学 … 新古今和歌集、方丈記、徒然草など
- 建築 … 東大寺南大門、金剛力士像など
- 農業 … 二毛作、草木灰
- 定期市が開かれる