江戸時代の三大改革と言われる吉宗の享保の改革、松平定信の寛政の改革、水野忠邦の天保の改革の内容、時代背景を学習します。
三大改革の内容と比較、三大改革の頃の年表、出来事(事件)、田沼意次の政治についても確認していきます。
江戸時代の三大改革 年表
- 1716年 吉宗が8代将軍になる(享保の改革)
- 1717年 大岡忠相(おおおかただすけ)が町奉行に
- 1721年 目安箱が設置される
- 1732年 享保の大飢饉
- 1742年 公事方御定書が定められる
- 1745年 家重が9代将軍に
- 1760年 家治が10代将軍に
- 1767年 田沼意次が側用人に、政治の実権を握る
- 1782年 印旛沼、手賀沼の干拓/天明の大飢饉
- 1783年 浅間山が噴火
- 1787年 家斉が11代将軍に/松平定信が老中に(寛政の改革)
- 1789年 倹約令、囲米の制、棄捐令が出される
- 1792年 ロシアのラクスマンが根室に来航、通商を要求
- 1804年 ロシア使節のレザノフが長崎に来航、通商を要求
- 1808年 間宮林蔵が樺太を探検
- 1825年 異国船打払令が出される
- 1833年 天保の大飢饉
- 1837年 大塩平八郎の乱が起きる/家慶が12代将軍に/モリソン号事件
- 1839年 蛮社の獄
- 1841年 老中水野忠邦により天保の改革が始まる
- 1842年 薪水給与令が出される
- 1843年 上知令が出される
徳川吉宗が8代将軍になり享保の改革が始まります。倹約令を出し新田開発を奨励、目安箱を設置、公事方御定書、上米の制を定めました。吉宗の時代に享保の大飢饉が起こりました。
家治が将軍の時代、田沼意次が側用人・老中に就任し田沼時代になりました。天明の大飢饉、浅間山の噴火が起きました。
田沼時代
10代将軍家治の時代に、側用人・老中を務めた田沼意次は、株仲間や長崎貿易を奨励、蝦夷地の開拓にも取り組みました。わいろ政治とも呼ばれていますが、近年評価もされています。
11代将軍の徳川家斉は50年間将軍に、将軍を家慶に譲った後は大御所として政治の実権を握りました。家斉の時代に老中松平定信により寛政の改革が、老中水野忠邦により天保の改革が実施されます。
どちらの改革でも倹約令や農村の立て直しが図られましたが、天保の改革は非常に厳しく、短期間で忠邦は失脚します。
この頃は通商を求められるなど、外国から圧力がかけられるようになった時代でもありました。
【モリソン号事件】日本人漂流者を乗せたアメリカ商船を日本が砲撃、船が退去した事件
【蛮社の獄】高野長英、渡辺崋山らが異国船打払令やモリソン号事件を批判、幕府に弾圧された
また大坂町奉行与力であった大塩平八郎が、幕府への反乱を起こすという事件も起きました(大塩平八郎の乱)。
また家斉の文化・文政時代は、江戸の庶民を中心に化政文化が栄えました。
江戸時代の三大改革比較
享保の改革 |
寛政の改革 (1787~1793年) |
天保の改革 |
|
---|---|---|---|
人物 | 徳川吉宗(将軍) | 松平定信(老中) | 水野忠邦(老中) |
武士・大名 | 上米の制 足高の制 |
棄捐令 | 上知令 |
農政、百姓 | 年貢を五公五民に 新田開発の奨励 |
旧里帰農令 囲米の制 |
人返しの法 |
その他 | 倹約令 目安箱設置 公事方御定書 |
倹約令 寛政異学の禁 |
倹約令 薪水給与令 株仲間の解散 |
徳川吉宗の享保の改革
8代将軍徳川吉宗は1716~1745年に、享保の改革を行いました。幕府の財政難、享保の大飢饉に対応するための政策を行い、庶民の意見も聞くことも行いました。
- 倹約令を出し、ぜいたくしないことを奨励
- 年貢を四公六五民から五公五民に
- 新田開発の奨励
- 上米の制(あげまいのせい)で大名に1万石につき100石を幕府へ、代わりに参勤交代をゆるめた
- 目安箱(庶民の意見箱) を設置 → 小石川養生所の設置、町火消の制度
- 公事方御定書(くじがたおさだめがき・裁判の基準)を定めた
- 足高の制(有能な人物の採用)
- 医学・洋学の奨励
享保の改革で幕府の経済が一時的に効果がありましたが、享保の大飢饉(1732年)や米に頼った経済政策の影響(米価の下落)でうまくいかなくなりました。
大岡忠相
大岡忠相(おおおかただすけ)は吉宗に認められ江戸町奉行を務め、越前守(えちぜんのかみ)を名乗りましました(時代劇「大岡越前」でも有名です)。
大岡忠相は名奉行とうたわれ庶民からも人気があり、町火消(いろは組)の結成や風紀の取り締まり、物価の安定や小石川養生所の開設など、吉宗の進めた享保の改革を支えました。
青木昆陽
青木昆陽は儒学者、蘭学者で、ききん対策の作物としてに甘薯(かんしょ、さつまいも)に注目、「蕃薯考(ばんしょこう)」を著しました。
徳川吉宗に甘薯の栽培を命じられ、甘薯の栽培普及に貢献しました。青木昆陽は甘薯先生と呼ばれました。
【参考】吉宗のライバル?徳川宗春
当時倹約政策を推し進めた吉宗と対照的な政策をとったのが、尾張藩の藩主徳川宗春です。
宗春は規制を緩和し娯楽施設を奨励、盆踊りを盛大に行ったり、自らも豪華な着物を着たり、白い牛に乗って3.6mもある長いきせるをくわえて外出するなどの、派手なパフォーマンスを行っていました。
尾張は一時景気も良くなりましたが、家臣の反乱にあい宗春は失脚します。ちなみに宗春の「宗」の字は吉宗からいただいたそうです。
松平定信の寛政の改革
老中松平定信は1787~1793年に寛政の改革を行いますが、厳しくて不満の声が庶民からも出ました。
「白河の清きに魚も住みかねてもとの濁りの田沼恋しき」(狂歌)
※定信は白河藩の藩主でした。
- 倹約令
- 囲米の制で凶作・ききんの対策に米を倉に蓄えさせた
- 棄捐令で御家人の借金帳消し
- 旧里帰農令(きゅうりきのうれい)を出し、本百姓が江戸へ流入するのを防いで、農村を立て直そうとした
- 寛政異学の禁で朱子学のみを許可、湯島に昌平坂学問所を設立
水野忠邦の天保の改革
老中水野忠邦は1841~1843年に天保の改革を行いました。忠邦の天保の改革は寛政の改革よりも厳しく、2年で忠邦は老中を罷免されてしまいます。
- 倹約令
- 株仲間の解散
- 人返しの法を出し、農民を強制的に農村へ帰らせた
- 薪水給与令(しんすいきゅうよれい) → 外国船に薪や水を支給する(清がイギリスに負けた影響)
- 上知令(じょうちれい/あげちれい)で大名や旗本の江戸、大阪の土地を差し出させ幕領に → 失敗に終わる
【参考】二宮尊徳が農村復興に活躍
農民出身の二宮尊徳(二宮金次郎)は小田原藩領の農村復興を手がけていました。水野忠邦の時代に尊徳は幕臣にもなりました。尊徳の思想は報徳思想と呼ばれています。
三大改革の共通点と違い
三大改革の共通点は、ぜいたくを戒める倹約令が出されていたところです。
享保の改革は長く続きましたが、寛政の改革、天保の改革と時代が進むにつれて短命になっています。特に天保の改革は厳しすぎて、2年で終わりました。
寛政の改革の旧里帰農令、天保の改革の人返しの法は、目的は似ていますが旧里帰農令は帰る百姓に報酬を与えたのに対し、人返しの法は強制的でした。
享保の改革の上米の制は米を納めさせ、天保の改革の上知令は土地を納めさせるものでした。
【参考】藩政改革
江戸時代は諸藩でも政治・経済の改革を行っていました。米沢藩の上杉鷹山(ようざん)、熊本藩の細川重賢(しげかた)が行った改革が有名です。
上杉鷹山
上杉鷹山は1767年に米沢藩主になりました。率先して倹約を実践、開墾を奨励し農村復興に努め、特産品として米沢織も作り、藩の財政立て直しに成功しました。
「為せば成る 為さねば成らぬ何事も」と言ったことでも有名です。
【問題編】江戸時代の政治・三大改革
次の問いに答えなさい。(答えは▼をクリック)
問1 享保の改革を行ったのは誰ですか。
▼答え
問2 享保の改革で庶民の意見を聞くために設置されたものは何ですか。
▼答え
問3 享保の改革で、大名に幕府に米を納めさて、代わりに参勤交代がゆるめられた制度を何といいますか。
▼答え
問4 1742年、将軍により裁判の基準が定められた。これを何といいますか。
▼答え
問5 将軍家治の時代、株仲間を奨励、印旛沼を干拓するなどの政治を行った人物は誰ですか。
▼答え
問6 寛政の改革を行った人物は誰ですか。
▼答え
問7 「( ① )の清きに魚も住みかねてもとの濁りの( ② )恋しき」この狂歌の( )に当てはまる語は何ですか。
▼答え
問8 寛政の改革の時期に、寛政異学の禁が出されました。許可されていた学問は何ですか。
▼答え
問9 問8を正学とした学問所が湯島に建てられました。この学問所を何といいますか。
▼答え
問10 寛政の改革で年貢の確保のため、農村に帰ることを奨励したきまりを何といいますか。
▼答え
問11 天保の改革を行ったのは誰ですか。
▼答え
問12 天保の改革で、農民を強制的に農村へ帰らせた決まりを何といいますか。
▼答え
問13 1843年、大名や旗本が所有する江戸や大阪の土地を幕府に差し出させ、幕領にするという決まりが出ました。これを何といいますか。
▼答え
問14 江戸の農民流入を防ぐため、報酬を与えて農村に帰らせたきまりは次の次のア~ウのどれですか。
ア 足し高の制 イ 人返しの法 ウ 旧里帰農令
▼答え
問15 凶作・ききんの対策に米を倉に蓄えさせた制度は次のア~ウのどれですか。
ア上知令 イ囲米の制 ウ上米の制
▼答え
問16 享保の改革で、目安箱の意見をもとにつくられた無料の医療施設を何といいますか。
▼答え
問17 問16の施設設置や町火消の結成にも関わった人物で、江戸町奉行を務め名奉行とうたわれた人は誰ですか。
▼答え
問18 享保の改革のころ、ききんの対策に甘薯(さつまいも)の栽培をすすめた蘭学者、儒学者は誰ですか。
▼答え
問19 天保の改革で異国船打ち払い令を緩和、外国船に薪や水、食料を支給するよう定めた法令を何といいますか。
▼答え
問20 天保の改革で一部の商人が営業を独占している状況を受け、物価を安定させるために何を解散させましたか。
▼答え
まとめ
江戸時代の三大改革が行われた時代背景を年表でも確認しながら三大改革を比較、内容を確認してきました。
三大改革を行った人物・時代・内容はテスト・入試でよく問われます。
もう一度確認をしておくと…
- 享保の改革(18世紀前半):徳川吉宗 … 上米の制、新田開発の奨励、目安箱設置、公事方御定書、倹約令
- 寛政の改革(18世紀後半):松平定信 … 旧里帰農令、囲米の制、寛政異学の禁、倹約令
- 天保の改革(19世紀前半):水野忠邦 … 人返しの法、薪水給与令、株仲間の解散、寛政異学の禁、倹約令
享保、寛政、天保の改革と進むにつれて、改革の内容への不満が高まり、財政の立て直しまでは実現できませんでした。
さらに海外からの圧力だけでなく、国内では幕府を批判する声も出るようになりました。江戸幕府に暗雲が立ち込めてきます。
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