今回は大正時代に起きた、第一次世界大戦についてまとめました。
第一次世界大戦は主にヨーロッパが中心ですが、この戦争への参加をきっかけに、日本は中国に二十一か条の要求を認めさせ、中国での権益を拡大しようとしました。
またアジアでは、民族運動・独立運動が起こりました。
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大正時代(1912~1920年 第一次世界大戦)年表
- 1912年 明治天皇の崩御/大正天皇が即位
- 1914年 第一次世界大戦(~1918年)
- 1915年 中国に二十一か条の要求
- 1917年 ロシア革命
- 1918年 シベリア出兵/米騒動が起きる/本格的な政党内閣が誕生(内閣総理大臣:原敬)
- 1919年 パリ講和会議が開かれる/三・一独立運動/五・四運動/ベルサイユ条約
- 1920年 国際連盟が設立、加入する
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第一次世界大戦
1914年にサラエボ事件が起こり、オーストリアがセルビアに宣戦布告、他の国も加わり、第一次世界大戦が起こります。
サラエボ事件
ボスニア・ヘルツェゴヴィナをめぐりオーストリアとセルビアが対立
→ 1908年 オーストリアがボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合
1914年、ボスニアの首都サラエボを訪れたオーストリア皇太子夫妻が、セルビア人青年に暗殺されるという事件が起こりました(サラエボ事件)。
第一次世界大戦の始まり
サラエボ事件をきっかけにオーストリアはセルビアに宣戦布告、ロシア、フランス、イギリスはセルビアを支持、ドイツはオーストリアを支持し、ロシア側に宣戦布告しました。
バルカン半島(ヨーロッパ南東部、ギリシャ、ボスニア、セルビアなどがある)は 紛争が多く、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていました。ロシアとオーストリアが支配権をめぐり対立していました。
三国協商と三国同盟、連合国と同盟国
第一次世界大戦では三国協商を結んでいたロシア、イギリス、フランスと、三国同盟を結んでいたドイツ、オーストリア、イタリアの対立が中心でした。
三国協商 | 三国同盟 |
---|---|
ロシア イギリス フランス |
ドイツ オーストリア イタリア |
※三国干渉と間違えないように。
三国協商側が連合国、三国同盟側が同盟国と呼ばれますが、イタリアはオーストリアと対立があり、連合国側に参加します。
連合国 | 同盟国 |
---|---|
ロシア イギリス フランス 日本 アメリカ イタリア |
ドイツ オーストリア トルコ ブルガリア |
日本も日英同盟を理由に参加、イギリスと対立している中国山東半島の青島(チンタオ)にあるドイツ基地を攻撃します。
二十一か条の要求
第一次世界大戦中、欧米列強がアジアへの関心が薄れていたのをきっかけに、日本は中国での権益拡大を図ります。
1915年、日本は中国に二十一か条の要求を出し、
・山東省のドイツ権益の継承
・旅順・大連の租借期間延長
などを認めさせました。
ロシア革命
1917年、ロシア革命が起こります。三月革命でロマノフ王朝が倒れた後も臨時政府は戦争を続ける予定でしたが、ボルシェビキ(後のソ連共産党)の指導者レーニンが亡命先から帰国、戦争を中止する意向を示しました。
シベリア出兵
1918年、ロシア革命の広がりを恐れ、日本を含む連合国がロシアのシベリアに出兵しました。
好景気で物価が上昇+シベリア出兵が原因で国内で米の買い占め、さらに値上がり
→ 1918年 米騒動(富山県の主婦が米の値下げを要求、暴動が各地に広がる)
戦争の終結
アメリカの参戦(1918年)で 連合国側が有利に、1919年にドイツが降伏して戦争が終結します。
パリ講和会議とベルサイユ条約
1919年、パリ講和会議が開かれ、連合国とドイツの間でベルサイユ条約が結ばれました。
【ベルサイユ条約で決められたこと】
- ドイツの領土縮小
- ドイツは多額の賠償金を払い、軍備が制限
- 日本は山東半島の旧ドイツ権益を継承
- 国際連盟設立(アメリカのウィルソン大統領提唱)
中国はパリ講和会議で「二十一か条の要求」の取り消しを求めましたが、却下されました。
国際連盟設立
パリ講和会議翌年の1920年に国際連盟が設立され、日本も加入します。国際連盟は世界平和、国際協調を目指すものです。しかし提唱したアメリカは国際連盟には加入しませんでした。
なぜアメリカは参加しなかったのか…
- ウィルソン大統領の方針に不満が多かった
- ウィルソン大統領は民主党、共和党は国際連盟反対で世論も同調
- ウィルソン大統領が病気(脳梗塞)になった
アジアの独立運動
朝鮮、中国、インドで独立運動が起こります。
三・一独立運動
1919年3月1日、朝鮮のソウルで日本からの独立を宣言、「独立万歳」と叫ぶデモ行進を行い、全国に広がりました。これを三・一独立運動といいます。
五・四運動
1919年5月4日、中国の北京で学生を中心に反日運動が起き、各地に発展しました(五・四運動)。
→ 五・四運動をきっかけに、孫文は中国国民党を結成しました。
インドの独立運動
インドはイギリスの植民地でした。
ガンディーは非暴力・不服従を掲げて、独立運動の指導者として活動しました。
【問題編】第一次世界大戦とアジアの独立運動
問1 第一次世界大戦のきっかけとなった、オーストリア皇太子夫妻が暗殺された事件を何といいますか。
▼答え問2 三国協商を結んでいた国を答えなさい。
▼答え問3 三国同盟を結んでいた国を答えなさい。
▼答え問4 三国同盟を結んでいた国で、連合国側に加わった国はどこですか。
▼答え問5 バルカン半島は民族間での紛争が絶えないことから、何と呼ばれていましたか。
▼答え問6 第一次世界大戦で日本は連合国と同盟国のどちらでしたか。
▼答え問7 1915年、日本は中国に山東省のドイツ権益の継承や、旅順・大連の租借期間延長を認めさせました。これを何といいますか。
▼答え問8 1917年に起きたロシア革命の広がりを恐れ、ロシア以外の連合国は1918年に軍隊を派遣しました。これを何といいますか。
▼答え問9 1919年に開かれた、第一次世界大戦の講和会議を何といいますか。
▼答え問10 問9で締結された条約を何といいますか。
▼答え問11 1920年、アメリカの大統領の提唱で発足した、世界平和を目指す機関を何といいますか。
▼答え問12 問11の機関を提唱した大統領は誰ですか。
▼答え問13 1919年、朝鮮で「独立万歳」を叫ぶデモ行進が行われました。この運動を何といいますか。
▼答え問14 中国の北京で学生を中心に反日運動が起き、各地に発展した運動を何といいますか。
▼答え問15 問14をきっかけに、孫文が結成した党を何といいますか。
▼答え問16 非暴力・不服従を掲げた、インドの独立運動の指導者は誰ですか。
▼答えまとめ
日本の大正時代に起きた第一次世界大戦と、アジアの独立運動について確認してきました。
第一次世界大戦のきっかけ、三国協商と三国同盟、連合国と同盟国の違い、ロシア革命とシベリア出兵の関連とともに、第一次世界大戦をきっかけに日本が中国に二十一か条の要求を認めさせたこと、アジアで起きた民族運動・独立運動についても押さえておきましょう。
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