大正デモクラシーと大正時代の文化についてまとめました。
大正デモクラシーとは何なのか、護憲運動、民本主義と民主主義の違い、普通選挙法が成立するまでの流れを確認、大正時代のくらしと文化について見ていきます。
大正時代(1912~1925年)の年表
桂太郎内閣組閣後の第一次護憲運動から、普通選挙が実施された年までの流れを、確認してみましょう。
- 1912年 友愛会結成/桂太郎内閣 → 第一次護憲運動
- 1913年 桂内閣総辞職
- 1914年 第一次世界大戦(~1918年)
- 1918年 シベリア出兵 → 米騒動が起きる/本格的な政党内閣が誕生(内閣総理大臣:原敬)
- 1920年 新婦人協会結成/初のメーデーが開かれる
- 1922年 全国水平社結成/ソビエト社会主義連邦共和国
- 1923年 関東大震災
- 1924年 第二次護憲運動
- 1925年 日ソ基本条約締結/治安維持法の成立/普通選挙法の成立
大正デモクラシー
普通選挙と政党内閣の実現など、民主化を求める大正時代の動きを大正デモクラシーといいます。
米騒動と初の政党内閣誕生
第一次世界大戦中は好景気になり物価が上昇しました。シベリア出兵が始まると米の買い占めが起こり、さらに米の物価が上昇、富山県の主婦が米を安く売るよう要求、これをきっかけに全国に米商人を襲うなど暴動が続きました。
米騒動をきっかけに軍人内閣の寺内正毅内閣は退陣に追い込まれ、政友会の原敬が内閣総理大臣に、初の本格的な政党内閣が誕生します。
寺内正毅はビリケン宰相と呼ばれていました。→ 当時流行していたビリケン人形にそっくりで、非立憲(ヒリッケン)にも通じるところから。
護憲運動
藩閥政治を批判、憲法を守り議会を重んじる運動を護憲運動といいます。
第一次護憲運動
- 立憲政友会の尾崎行雄、立憲国民党の犬養毅が中心
- 1912年、藩閥の桂太郎内閣が組閣し、民衆が反発 → 立憲政友会、立憲国民党が中心に反対運動 → 1913年総辞職
第二次護憲運動
- 護憲三派(憲政会、立憲政友会、革新倶楽部)が中心
- 1924年、貴族院中心の清浦内閣を退陣に → 政党内閣の加藤高明内閣が組閣
憲政会は加藤高明、立憲政友会は高橋是清、革新倶楽部は犬養毅が代表でした。
民本主義と民主主義との違い
吉野作造は1916年から民本主義を唱え、民衆の意見を政治や議会に反映させることを説きました。当時の憲法では天皇が主権でしたが、民「主」主義だと天皇の主権を脅かす表現になるため、民本主義ということばを使いました。
民本主義の思想→ 普通選挙を求める動きの高まり
普通選挙法の成立
1925年に普通選挙法が成立し(加藤高明内閣)、1928年に初の普通選挙が行われました。
【普通選挙法のポイント】
- 満25歳以上の男子(納税額は関係なし)
- 女子には選挙権がない
普通選挙法と同時に治安維持法も成立します。
治安維持法は社会主義・共産主義運動、労働運動を取り締まる法律で、厳しい処罰がされました。
大正時代の社会運動
大正時代にはストライキなど労働争議がさかんに、女性解放運動、部落解放運動も起こりました。
労働運動
1912年に鈴木文治らが友愛会を結成、労働者の地位向上を目指しました。1920年には友愛会が主催した、日本で初めてのメーデーが行われました。(1921年に友愛会は日本労働総同盟に改称)
メーデーはアメリカから広まったもので、5月1日に労働者が集まって行う祭典です。労働に関する権利を主張する集会やデモを行います。
女性解放運動
1920年、平塚らいてう、市川房枝らが新婦人協会を結成、女性の地位向上や女性の参政権が主張されました。
部落解放運動
1922年、部落差別の解消を訴える、全国水平社が結成されました。
大正時代のくらし・文化
大正時代のくらしや文化について確認しましょう。この時代は活字文化が広まった時代でもあります。
大正時代のくらし
- 新聞、週刊誌、雑誌
- 円本、岩波文庫
- 蓄音機、レコード
- ラジオ放送
- 文化住宅(和洋折衷の家)
- サラリーマン、職業婦人の登場
- モボ、モガ
- 関東大震災(1923年9月1日)→関東で大きな被害
新聞や週刊誌、1円の本や文庫本が読まれ、活字文化が広まりました。1925年にはラジオ放送が始まり、新たな情報源となりました。
大正時代の文学
- 芥川龍之介「羅生門」「鼻」
- 川端康成「伊豆の踊子」
- 志賀直哉「暗夜行路」(白樺派)
- 小林多喜二「蟹工船」(プロレタリア文学)
大正時代の学問・芸術
- 西田幾多郎「善の研究」(哲学)
- 山田耕筰「赤とんぼ」「この道」(作曲家)
【問題編】大正デモクラシーと大正時代の文化
問1 シベリア出兵が原因で、米の価格が上昇、富山県の主婦が米を安く売るよう要求したのをきっかけに、全国で米の安売りを求める暴動が広がったことを何といいますか。
▼答え問2 問1をきっかけに寺内正毅内閣が退陣し、次の内閣総理大臣になった人物は誰ですか。
▼答え問3 問2の人物が作った内閣は何と呼ばれますか。
▼答え問4 藩閥政治を批判、憲法を守り議会を重んじる運動を何といいますか。
▼答え問5 1912年に藩閥の桂太郎内閣が組閣され、反対運動を行った中心人物は立憲政友会の誰ですか。
▼答え問6 1924年の第二次護憲運動で、貴族院中心の清浦内閣を退陣させ、内閣総理大臣になったのは誰ですか。
▼答え問7 民衆の意見を議会や政治に反映させようと、吉野作造が主張した考えを何主義といいますか。
▼答え問8 1925年に選挙制度が改正され、納税額に関係なく選挙することができるようになりました。この選挙法を何といいますか。
▼答え問9 問8の法律と同じ年に成立した、社会主義・労働運動を取り締まる法律を何といいますか。
▼答え問10 1920年、平塚らいてうらが結成した、女性解放を訴える団体は何ですか。
▼答え問11 1922年、部落差別の解放を目指し結成された組織は何ですか。
▼答え問12 1920年の5月に、友愛会が主催した労働者の祭典が日本で初めて開かれました。この祭典を何といいますか。
▼答え問13 プロレタリア文学の代表作である「蟹工船」を書いた小説家は誰ですか。
▼答え問14 「善の研究」を著し、西洋と東洋の哲学を統一しようとした人物は誰ですか。
▼答え問15「羅生門」「鼻」などを書いた小説家は誰ですか。
▼答えまとめ
大正デモクラシーと普通選挙までの流れ、大正時代の文化について確認してきました。
シベリア出兵の年に原敬の初の本格的政党内閣がなぜ生まれたのか、2度の護憲運動でどの内閣が退陣しどの内閣が生まれたのか、護憲運動の中心人物と政党、民本主義と民主主義の違い、普通選挙の内容について覚えておきましょう。
また大正時代に生まれた文化、主な人物・作品も答えられるようにしておきましょう。
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