中学歴史 明治時代「日清戦争と日露戦争」まとめと問題

  • 2018.11.02
  • 更新日:2020.05.23
  • 歴史
中学歴史 明治時代「日清戦争と日露戦争」まとめと問題

今回は明治時代に起きた、日清戦争と日露戦争について学習します。

日清戦争や日露戦争が起きるまでの流れを見て、甲午農民戦争や義和団の乱がどのように日清戦争や日露戦争と関わっていったのか、また講和条約である下関条約やポーツマス条約の内容についても確認していきます。

最後に確認問題もあるので、覚えられたかチェックしてみましょう。

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明治時代(1894~1905年)年表

日清戦争が起きた1894年から、ポーツマス条約が結ばれた1905年までの流れです。

  • 1894年 朝鮮で甲午農民戦争が起きる/治外法権の撤廃(日英通商航海条約)/日清戦争
  • 1895年 下関条約/三国干渉
  • 1896年 大隈重信らが進歩党結成
  • 1897年 朝鮮は大韓帝国(韓国)に国名を改める
  • 1898年 初の政党内閣(総理大臣大隈重信、内務大臣に板垣退助)
  • 1899年 義和団の乱
  • 1900年 伊藤博文が立憲政友会を結成
  • 1901年 八幡製鉄所が操業開始
  • 1902年 日英同盟
  • 1904年 日露戦争
  • 1905年 ポーツマス条約/日比谷焼き打ち事件

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日清戦争

日清戦争は甲午農民戦争をきっかけに起こりました。

甲午農民戦争

朝鮮では東学が農民の間で広まりました(東学を信仰する団体が東学党)。圧政に苦しむ東学党の農民たちは、1894年に武装蜂起しました。これを甲午農民戦争(東学党の乱)といいます。

東学は崔済愚(さいせいぐ)が西学(天主教=ローマ・カトリック教)に対抗しておこした宗教。民間信仰に仏教、儒教、道教などの教えを取り入れたたものでした。

日清戦争の勃発

甲午農民戦争を鎮圧するため、朝鮮政府は清に出兵を要請、日本も清に対抗して出兵して衝突、同じ年の1894年に日清戦争が起こりました。その結果、日本が勝利しました。

下関条約

1895年、日清戦争の講和条約である下関条約が結ばれました。

下関条約の主な内容

  • 朝鮮の独立を認める
  • 遼東(リャオトン/りょうとう)半島台湾、澎湖(ポンフー/ほうこ)諸島を日本にゆずる
  • 清は日本に賠償金2億両を支払う

なおこのときの賠償金の一部は、八幡製鉄所の建設に使われました。

三国干渉

ロシアはフランス、ドイツとともに、日本に遼東半島を清に戻すよう要求し、ロシアに対抗する力のない日本はその要求を受け入れました。背景にロシアの南下政策(清での利権拡大)がありました。

三国干渉後、日本はロシアに対抗できるよう軍事力を高めていきます。「臥薪嘗胆」のスローガンがかかげられ、国民の間でもロシアへ報復しようという風潮になりました。

日露戦争

中学歴史 明治時代「日清戦争と日露戦争」まとめと問題

国内ではロシアとの開戦の機運が高まります。政府は慎重でしたが、結局ロシアとの戦争が始まります。

義和団の乱(義和団事件)

日清戦争後、清に欧米諸国や日本が進出し、半植民地のような状態になります。外国人を排除しようと扶清滅洋(ふしんめうちょう)をスローガンにかかげた義和団が反乱を起こしました(義和団の乱、1899~1900年)。

義和団の乱は欧米、日本によって鎮圧されます。ロシアは満州(中国東北部)に大軍を送りますが、義和団の乱がおさまった後も満州に軍をとどめました。

日英同盟

  • イギリス→清に利権(利益を得る権利)がある
  • 日本→朝鮮(韓国)を勢力下におきたい

イギリスと日本にとってロシアの満州進出は都合が悪く、互いの利害が一致、1902年に日英同盟を結びました。

日露戦争の開戦

日露戦争がついに開戦、イギリスアメリカも日本を支援します。

国内では日露戦争に反対している人たちもいました。→社会主義者の幸徳秋水、キリスト教徒の内村鑑三など

与謝野晶子は戦争に行った弟のことをうたった、「君死にたまふことなかれ」という詩を発表します。

日本海海戦ではロシアのバルチック艦隊を撃破、日本側が勝利を果たしました(司令官は東郷平八郎)。

しかし日本の戦力は限界に、ロシアではロシア革命が起こり戦争を続けることが困難になります。

ちなみに与謝野晶子の弟は、戦争から無事に帰ってきたそうです。

ポーツマス条約

1905年、アメリカ(ルーズベルト大統領)の仲介で日本とロシアの講和条約が、アメリカのポーツマスで結ばれました(ポーツマス条約)。このとき日本の全権が外務大臣の小村寿太郎でした。

ポーツマス条約の主な内容

  • 韓国での日本の優越権を認める
  • 旅順・大連の租借権
  • 長春以南の鉄道の利権
  • 北緯50度以南の樺太を日本にゆずる
  • 沿海州、カムチャツカ半島沿岸の日本の漁業権を認める
  • 賠償金はなし

※ テスト・入試対策として、各地域の場所も確認しておくことをオススメします。

賠償金が得られず、講和条約の内容に不満を持った人たちが、日本の各地で集会を開きました。

東京ではポーツマス条約と同じ年の1905年、日比谷焼き打ち事件が起こりました。

ルーズベルト大統領とハーバードで同窓生だった金子賢太郎の貢献もあります。(小村寿太郎もハーバード卒)

条約締結後、国民のブーイングを受けるのは政府内でもお見通しだったようです。

ルーズベルト大統領はこの条約の功績でノーベル平和賞をもらいました。

【問題編】日清戦争と日露戦争

中学歴史 明治時代「日清戦争と日露戦争」まとめと問題

問1 朝鮮では崔済愚がおこした宗教が農民の間に広がり、圧政に苦しむこの宗教団体の農民たちが1894年に武装蜂起しました。この事件のことを何といいますか。

答えを確認

問2 問1の事件をきっかけに日本とある国の間で1894年に戦争が起こりました。この戦争を何といいますか。

答えを確認

問3 問2の戦争の講和条約を何といいますか。

答えを確認

問4 問3の講和条約で、日本がゆずられることになった3つの地域を答えなさい。

答えを確認

問5 問3の講和条約後、三国干渉で日本が返還することになった地域はどこですか。

答えを確認

問6 三国干渉はある国がフランスとドイツを誘って行われました。どの国ですか。

答えを確認

問7 日清戦争後、朝鮮は何という国名に変えましたか。

答えを確認

問8 1899~1900年に、清では宗教団体を中心とした民衆が扶清滅洋をスローガンに掲げ、大使館を包囲するなどの事件を起こしました。これを何といいますか。

答えを確認

問9 問8の事件後、ロシアは中国の東北部に大軍をとどめて、事実上占領しました。ロシアが占領した地域は何と呼ばれていましたか。

答えを確認

問10 1902年、ロシアに対抗するために、日本とある国の間で結ばれた同盟を何といいますか。

答えを確認

問11 日露戦争が起きたのは何年ですか。

答えを確認

問12 日露戦争で日本を支援した国を2つ答えなさい。

答えを確認

問13 日露戦争で、日本海海戦ではロシアのバルチック艦隊を撃破して勝利しました。このときの指揮官は誰ですか。

答えを確認

問14 日露戦争中、戦争に行った弟を思い、「君死にたまふことなかれ」という詩を発表したのは誰ですか。

答えを確認

問15 日露戦争の講和条約は何といいますか。

答えを確認

問16 日露戦争の講和条約はどの国で結ばれましたか。また仲介した大統領は誰ですか。

答えを確認

問17 日露戦争の講和条約で、日本側の全権は誰でしたか。

答えを確認

問18 日露戦争の講和条約で、日本はどことどこの租借権が得られましたか。

答えを確認

問19 日露戦争の講和条約で、日本はどの国での優越権が認められましたか。

答えを確認

問20 賠償金が得られないなど、日露戦争の講和条約に不満を持った人たちが、東京で暴動を起こしました。この事件を何といいますか。

答えを確認

まとめ

日清戦争、日露戦争の流れを再度確認しておくと…。

甲午農民戦争→日清戦争(1894年)→下関条約→三国干渉(ロシアへの不満)

義和団の乱→日英同盟→日露戦争(1904年)→ポーツマス条約→日比谷焼打事件

日清戦争と日露戦争にどの事件や出来事が関わっているのか、それぞれの戦争の講和条約とその内容についても覚えておきましょう。

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