中学歴史 明治時代「条約改正と韓国併合」まとめと問題

  • 2018.11.03
  • 更新日:2020.05.23
  • 歴史
中学歴史 明治時代「条約改正と韓国併合」まとめと問題

今回は明治時代の条約改正のあゆみと、韓国併合について学習します。

領事裁判権の撤廃、関税自主権の完全回復で条約改正がついに実現します。また日本はポーツマス条約で韓国での優越権が認められた後、朝鮮総督府を置きます。伊藤博文暗殺の後、韓国併合、朝鮮総督府設置で韓国を完全に植民地化します。

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明治時代(条約改正と1906~1912年)の年表

条約改正へのあゆみと1906~1912年の出来事を年表で確認してみましょう。

  • 1906年 韓国統監府が置かれる
  • 1909年 伊藤博文が安重根に殺される
  • 1910年 犬養毅らが立憲国民党を結成する/大逆事件/韓国併合/朝鮮総督府が置かれる
  • 1911年 日米通商航海条約(関税自主権の回復)/辛亥革命
  • 1912年 明治天皇崩御/中華民国が建国

幕末に日本は不平等条約を結びました。その後日本は条約改正と世界での地位向上のために、富国強兵を目指します。日清戦争の年には領事裁判権が撤廃、日露戦争後は関税自主権を取り戻しました。それと同時に韓国の植民地化を進められていきます。

日露戦争後は近代国家へと成長した日本に、清から多くの留学生がやって来ました。中国では辛亥革命が起こり、中華民国が建国され、清王朝は滅びました。

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条約改正へのあゆみ

1858年、日本は日米修好通商条約など、アメリカ、イギリス、ロシア、オランダ、フランスと不平等な条約を結びました。

なぜ不平等条約なのか?

  • 領事裁判権(治外法権)を認める
  • 関税自主権がない

外国人が日本で問題を起こしても、領事が裁判するという権利を認め、関税は日本が決めるのではなく、相手国との相談で決めるということになりました。

遣欧使節団の派遣

1871年、不平等条約改正のため、遣欧使節団が派遣されました。

使節団のメンバー … 岩倉具視(全権大使)、大久保利通、伊藤博文、木戸孝允、津田梅子など

欧米を訪れて当時の日本の力では条約改正は無理と判断、帰国後はまず内政を固めようと日本は「富国強兵」へ向かいました。

参考:中学歴史 明治時代「明治維新・富国強兵」まとめと問題

欧化政策

1880年代には欧米の制度・文化を取り入れ、条約改正の実現を目指す欧化政策がとられます。

1883年には外務大臣の井上馨(かおる)により鹿鳴館が開館され、外交官などの接待に使われました。(1883~1887年鹿鳴館時代)

帝国ホテルも井上馨の案で建設されました。

ノルマントン号事件

1886年に、イギリス船商船「ノルマントン号」が遭難し、日本人乗客全員が死亡しました。しかしイギリス人船長・乗組員が全員無罪になりました。これをノルマントン号事件といいます。

この事件をきっかけに、 領事裁判権撤廃の動きが高まりました。

ちなみにモリソン号事件は幕末に、日本人漂流民を乗せたアメリカの船を日本が砲撃した事件です。

大津事件

1891年、日本を訪れていたロシア皇太子ニコライ2世が、大津にて警備にあたっていた警察官に襲われるという事件が起きました(大津事件)。

皇太子は軽いけがを負った程度でしたが、日本政府は犯人を死刑にしようとしました。しかし裁判では法にのっとって襲った犯人を無期懲役とされました。

この判決結果を受けて、日本では三権分立が確立されていると外国からも評価されます。

領事裁判権の撤廃

1894年、外務大臣陸奥宗光により日英通商航海条約が締結、領事裁判権が撤廃されました。(関税自主権の一部回復にも成功しています。)

領事裁判権撤廃の成功には、日本国憲法の制定、大津事件があり、日本は近代的な法治国家と認められたことが背景にあります。

陸奥宗光はもと紀州藩、坂本龍馬の海援隊にもいた人物です。カミソリ大臣というあだ名もありました。

関税自主権の回復

1911年、小村寿太郎により日米通商航海条約が締結、関税自主権が回復されました

小村寿太郎は1901年の日英同盟を締結、1905年ポーツマス条約(日露戦争の講和条約)では全権として交渉を進めました。ハーバード卒の秀才。

韓国併合

ポーツマス条約で日本は韓国での優越権が認められました。1906年に韓国統監府が置かれ、初代統監に伊藤博文が着任します。韓国は内政権を失い、皇帝の退位、軍隊解散など、日本による韓国の植民地化が進みます。

1909年、統監を辞職した伊藤博文は、韓国のハルビン駅で安重根に暗殺されます。

伊藤博文が殺された翌年の1910年、韓国併合で韓国は日本の植民地となります。同年に韓国統監府に代わり、朝鮮総督府が置かれました(寺内正毅が初代総督)。朝鮮総督府が朝鮮半島全土の行政、軍事を行いました。

【問題編】明治時代「条約改正と韓国併合」

中学歴史 明治時代「条約改正と韓国併合」まとめと問題

問1 1871年、条約改正のため政府は遣欧使節団を派遣しました。このときの大使は誰でしたか。

答えを確認

問2 外務大臣の井上馨が欧化政策として、外国の貴賓や外交官を招いて舞踏会を開きました。舞踏会が開かれた建物を何といいますか。

答えを確認

問3 1886年にイギリス船商船が遭難、日本人乗客全員が死亡したにもかかわらず、イギリス人船長・乗組員が無罪になるという事件がありました。この事件を何といいますか。

答えを確認

問4 問3の事件で不平等条約の改正を求める声が高まり、(       )権の撤廃が求められました。(       )に入る漢字4文字を答えなさい。

答えを確認

問5 1894年、日英通商航海条約が締結され、領事裁判権の撤廃と関税自主権の一部回復に成功しました。この交渉にあたった外務大臣は誰ですか。

答えを確認

問6 1911年、日米通商航海条約が締結され、(       )権の完全な回復に成功しました。(       )に入る漢字4文字を答えなさい。

答えを確認

問7 問6の条約の交渉にあたった、外務大臣の名前を答えなさい。

答えを確認

問8 1906年に韓国統監府が置かれました。初代統監は誰でしたか。

答えを確認

問9 1910年、日本は韓国を植民地にしました。これを何といいますか。

答えを確認

問10 韓国統監府に代わり、日本が朝鮮半島全土の行政、軍事を行う機関が置かれました。これを何といいますか。

答えを確認

まとめ

不平等条約の完全撤廃と、韓国の植民地化を実現させて、明治天皇の崩御で明治時代は終わりを迎えます。

2つの条約改正の実現がいつ行われたか、外務大臣は誰だったか覚えておきましょう。

条約改正の実現

  • 領事裁判権の撤廃(1894年、陸奥宗光
  • 関税自主権の回復(1911年、小村寿太郎

韓国統監府と朝鮮総督府は混同しやすいところです。韓国併合前が韓国統監府、後にできたのが朝鮮総督府です。

韓国統監府(初代統監:伊藤博文)

↓(1910年 韓国併合

朝鮮総督府(初代総督:寺内正毅)

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