古墳時代の年表、出来事、主な古墳や古墳の種類、大和王権(ヤマト王権)についてまとめました。
王や豪族の墓である「古墳」は、3~4世紀頃から現れ始めました。日本では大和政権という豪族の連合政権が現れ、この政権の王は大王(おおきみ)と呼ばれていますが、巨大な古墳を残した大王もいます。大陸との交流も古墳時代の重要な特徴です。
どのような古墳があるのか、古墳の形の特徴、古墳にはどのようなものが埋められていたのか、世界遺産になった百舌鳥・古市古墳群とは、大和政権とはどのような政権でどこにあったのか、大陸とはどのような交流があったのかについて、確認していきます。
古墳時代はいつからいつまで?
古墳時代は古墳が現れ出した3世紀後半~6世紀までを指します。最初は近畿~瀬戸内海で多く作られ、やがて各地に広がっていきました。
古墳時代の年表
266年 邪馬台国の女王(台与とよ)が晋に朝貢する
3世紀半ば~ 古墳が出現
漢字の伝来
大和政権が国内を統一
391年 倭が朝鮮半島を攻め、百済、加羅、新羅を従属(好太王の碑)
421年 (~479年)倭の五王、讃・珍・済・興・武が宋に朝貢する
507年 継体天皇が越前から迎えられる
5世紀中頃 大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
513年 百済より儒教が伝わる
527年 磐井の乱
538年 百済より仏教が伝わる
587年 物部氏が蘇我氏に滅ぼされる
589年 隋が中国を統一
古墳と大和政権(ヤマト王権)
3世紀後半に入ると、奈良盆地を中心に大和政権(ヤマト王権)という豪族の連合政権が成立しました。豪族は各地方で支配権をもつ一族を指します。大和政権のリーダーのことを大王(おおきみ、だいおう)といいます。
※大和政権はヤマト王権、ヤマト政権とも表されます。
古墳は豪族や王の墓であり、大きな古墳を作ることで豪族や王が自らの権力を示したかったのではないかと考えられています。
主な古墳
3世紀後半頃から豪族や王が古墳を作るようになりましたが、5世紀に入ると四角形と円形を組み合わせた、鍵穴のような形の前方後円墳が登場しました(上のイラスト参照)。
前方後円墳は全国(東北~九州)で見られますが、特に有名なのは河内に作られた大仙古墳(仁徳天皇凌)で、世界最大の面積を持つ古墳です。
日本で1番大きい古墳が大仙古墳、2番めに大きいのが誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)=応神天皇陵です。
古墳名 | 場所 | 古墳の種類 | 被葬者 | 副葬品他 |
---|---|---|---|---|
大仙古墳 | 大阪府 | 前方後円墳 | 仁徳天皇 | はにわ、須恵器 |
誉田御廟山古墳 (こんだごびょうやまこふん) |
大阪府 | 前方後円墳 | 応神天皇 | はにわ、木製品 |
高松塚古墳 | 奈良県 | 二段円墳 | 不明 | 女子群像壁画、銅鏡 |
稲荷山古墳 | 埼玉県 | 前方後円墳 | 不明 | 鉄剣、甲冑、馬具 |
キトラ古墳 | 奈良県 | 円墳 | 不明 | 四神の壁画 |
箸墓古墳 | 奈良県 | 前方後円墳 | 卑弥呼? | (日本書紀に記述あり) |
稲荷山古墳(埼玉県)出土の鉄剣、江田船山古墳(熊本県)出土の鉄刀には、ワカタケル大王(倭王武、雄略天皇と言われている)の文字が刻まれています。これは大和政権の支配がその地域にまで及んでいたことを示していると考えられます。
古墳とともに埴輪(はにわ)も埋められました。埴輪は上の絵のような焼き物で、人物や馬、家屋、船などが作られています。
埴輪はわりと大きく数十㎝から1mぐらい、もっと大きなものもあります。
百舌鳥・古市古墳群(世界遺産)
大阪府堺市、藤井寺(ふじいでら)市、羽曳野(はびきの)市にある百舌鳥(もず)・古市古墳群は4世紀後半~6世紀後半につくられた古墳群で、2019年世界遺産に登録されました。
百舌鳥・古市古墳群には大仙古墳(仁徳天皇凌)、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)、上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)などの巨大な前方後円墳や、小規模な円墳・方墳が集まっています。
古墳の形・種類
古墳は四角い方墳や丸い円墳、それらの形を組み合わせてできた前方後円墳などがあります。5世紀には特に大型の前方後円墳がつくられるようになりました。
・方墳(四角い古墳)
・円墳(円形の古墳)
・前方後円墳
・前方後方墳
・帆立貝形古墳
・双円墳
・八角墳
・群集墳(小型の古墳の集まり)
古墳時代の大陸との交流
中国と朝鮮半島
5世紀頃中国は南北朝時代で、日本は南朝の宋に使いを送ったという記録が残っています。
朝鮮半島では4世紀に国が分裂し、北部では高句麗(コグリョ/こうくり)、東部に新羅(シルラ/しらぎ)、西部に百済(ペクチェ/くだら)がつくられていました。
日本は百済や南部の伽耶(かや)[加羅(から)/任那(みまな)]と交流がありました。
391年に倭が朝鮮半島を攻め、百済、加羅、新羅を従属させましたが、高句麗との戦いでは倭が敗北しました。このときの高句麗の王が好太王(広開土王)で、好太王の碑にそのときの記録が残されています。
大陸との交流
中国や朝鮮から日本に渡ってきた人たち(渡来人)が、日本に新しい技術を伝えました。
- 須恵器(高温で焼かれた、硬い土器)
- 機織り
- 養蚕
- 土木工事
※この時代は土師器(はじき)という弥生土器の流れをくむ土器も作られていましたが、須恵器は高温で焼かれた黒っぽい土器、土師器は須恵器より低温、赤褐色です。
漢字は3世紀頃、儒教(孔子の教え、513年)や仏教(538年)、が伝えられたのもこの頃です。仏教は百済の聖明王より伝えられたとされています。
【問題編】古墳時代の確認
古墳時代の基本事項について確認できましたでしょうか。それでは、古墳時代の確認問題にチャレンジしてみましょう。
問1 日本各地で古墳が作られるようになったのは何世紀の後半頃からですか。
▼答え問2 大阪にある日本最大の古墳の名前は何ですか。
▼答え問3 問2の古墳のように、円形と四角形を組み合わせた形の古墳を何と呼びますか。
▼答え問4 古墳の周りや上に素焼きで作られた人や馬、家などの形をした焼き物は何と呼ばれていますか。
▼答え問5 古墳が出現した頃、奈良盆地の辺りに豪族の連合政権が作られた。この連合政権は何と呼ばれていますか。
▼答え問6 問5の政権のリーダーは何と呼ばれましたか。漢字で書きなさい。
▼答え問7 中国や朝鮮半島から日本に渡り、そのまま住むようになった人たちが出てきた。このような人たちを何と呼びますか。
▼答え問8 問7の人たちに、古墳時代に伝えられた薄くて硬い土器を何といいますか。
▼答え問9 古墳時代、朝鮮半島の北部、東部、西部にあった国の名前を答えなさい。
▼答え問10 古墳時代、日本は中国南朝の何という国に使いを送りましたか。
▼答え問11 6世紀に日本に伝わった、孔子の教えを何といいますか。
▼答えまとめ
- 古墳時代は3世紀後半~7世紀頃
- 大和政権/ヤマト王権(豪族の連立政権)、リーダーは大王(おおきみ)
- 古墳の登場→前方後円墳(大仙古墳など)
- はにわ→古墳の上、周囲に置かれた
- 中国南朝の宋に使いを送った
- 朝鮮半島では高句麗・新羅・百済、南部に任那(加羅)という小国家連合
- 日本は百済・任那と交流
- 渡来人→機織り、土木技術、須恵器(薄くてかたい土器)
- 儒教(儒学)、仏教が伝えられる
古墳の位置、朝鮮半島の各国(地方)の位置も、地図を見て答えられるようにしておきましょう。