中学歴史 江戸時代(徳川綱吉~新井白石の政治)まとめと問題

  • 2018.10.19
  • 歴史
中学歴史 江戸時代(徳川綱吉~新井白石の政治)まとめと問題

今回は江戸幕府5代将軍綱吉、新井白石の政治を中心に学習していきます。

綱吉の「生類憐れみの令」は有名ですが、なぜこのような決まりを綱吉は定めたのでしょうか。新井白石はどのように悪化した幕府の経済を立て直そうとしたのでしょうか。

鎖国完成後の当時の年表や出来事、2人の政治の内容などを見ていきましょう。

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江戸時代年表 徳川綱吉・新井白石

家光がポルトガル船の来航を禁止して鎖国が完成した後、綱吉や新井白石の頃までにどのような出来事があったのでしょうか。年表を見てみましょう。

  • 1643年 田畑永代売買禁止令
  • 1649年 慶安の御触書
  • 1651年 徳川家綱が4代将軍に/由比正雪の乱(慶安の変)
  • 1657年 明暦の大火
  • 1669年 シャクシャインの戦い(アイヌ民族の松前藩に対する反乱)
  • 1673年 三井高利が江戸に越後屋を開く
  • 1680年 綱吉が5代将軍に
  • 1685年 生類憐れみの令が出される
  • 1702年 赤穂事件
  • 1707年 富士山の噴火
  • 1709年 家宣が6代将軍に/新井白石が登用される
  • 1713年 家継が7代将軍に
  • 1716年 吉宗が8代将軍に

凶作・飢饉により田畑を売る農民が多く出たことを受け、幕府は田畑の売買禁止令を出し、百姓が没落せず、年貢を確保しようとしました。また慶安の御触書を出し、百姓の生活を統制しようとしました。

家綱は11歳で4代将軍に、由比正雪(ゆいしょうせつ)が浪人の救済目的で幕府を転覆させようと反乱を起こしましたが、計画は失敗に終わりました。保科正之らが若い家綱の補佐にあたりました。

三井高利は江戸に呉服屋「越後屋」を開業、現金掛け値なしの商売を始め、成功を収めました。後に両替商も営み、幕府の為替御用達となりました。

4代将軍家綱の時代には明暦の大火、5代将軍綱吉の時代には赤穂事件、富士山の噴火が起こりました。

赤穂事件とは?

大石内蔵助(おおいしくらのすけ)ら赤穂(あこう)浪士が、播州赤穂(ばんしゅうあこう)藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の仇である吉良上野介(きらこうずけのすけ)の屋敷に討ち入り、殺害するという事件。

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徳川綱吉の政治

第5代将軍綱吉は第3代将軍家光の子であり、4代将軍家綱の弟です。館林藩の藩主でしたが、後に家綱の養子になり、将軍になりました。綱吉の行った政治は天和の治(てんなのち)と呼ばれています。大老堀田正俊、保科正之が補佐しました。

武断政治から文治政治へ

江戸幕府の政権が安定し、武力で政治を行う武断政治から、法や道徳の力で政治を行う文治政治へと転換していきました。

学問の奨励

綱吉は朱子学(儒学の一つ)を奨励しました。綱吉自ら講義をして、孔子をまつる湯島聖堂を建てました。

生類憐れみの令

綱吉は「生きているものを殺してはならない」と「生類憐れみの令」を出します。綱吉は子どもに恵まれず、戌年生まれだったことから特に犬が大切にされました。

極端な動物愛護令だったため、綱吉の政治が悪政と呼ばれる理由の一つにもなっていますが、捨て子や病人を助けるねらいもありました。

綱吉の財政

明暦の大火、寺の修理・建設で幕府の財政が厳しくなったため、貨幣の質を下げて量を増やしました。貨幣が増えて幕府の財政は一時的に良くなりますが、貨幣の質が下がったため物価が上昇してしまいました。

綱吉の頃、上方では元禄文化という町人文化が栄えました。

新井白石の政治

旗本で朱子学者の新井白石は6代将軍家宣、7代将軍家継に仕えました。白石は家宣の儒学の師でもありました。家宣・家継の側用人を務めた間部詮房(まなべあきふさ)とともに、正徳の治と呼ばれる文治政治を行いました。

白石の正徳の治

白石は「生類憐れみの令」を綱吉が亡くなったすぐ後に廃止しました。

また財政悪化を食い止めるのには貨幣の質を上げることが必要と考え、質の良い貨幣を発行します。

長崎から海外に流れている金銀の量を減らすよう長崎貿易を縮小、朝鮮通信使の待遇を簡素化するなど、財政の立て直しを図ろうとします。

家継が夭折、8代将軍に吉宗が就任し、白石は失脚してしまいます。

白石は「西洋紀聞」「折たく柴の記」など多くの著書を残しています。

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【問題編】江戸時代 徳川綱吉~新井白石の政治

問1 徳川綱吉は儒学を学ぶことをすすめましたが、特に何という学問をすすめましたか。

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問2 綱吉が出した動物愛護令は何ですか。

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問3 綱吉は財政を立て直すために、貨幣の質をどうしましたか。その結果物価はどうなりましたか。

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問4 綱吉が孔子をまつり今の文京区に建てたお堂は何ですか。

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問5 綱吉の頃上方で栄えた文化は何ですか。

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問6 綱吉の時代に大石内蔵助ら浪士たちが主君の仇を討つ事件が起きた。この事件は何と呼ばれていますか。

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問7 6代、7代将軍に仕えた新井白石らがすすめた文治政治は何と呼ばれていますか。

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問8 白石は物価を安定させるため、貨幣の質をどうしましたか。

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問9 白石は何の待遇を簡素化しましたか。

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問10 白石が記した自叙伝の書名は何ですか。

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まとめ

徳川綱吉、新井白石の政治を中心に見てきました。同じ文治政治でも綱吉と白石は逆方向に推し進めたようですね。

綱吉、白石が政治の立て直しのために何をしたのか、確認しておきましょう。

徳川綱吉 新井白石
生類憐れみの令 →廃止
貨幣の質を下げた →戻した
寺の修理、建築などにお金を使った 貿易を制限、朝鮮通信使の待遇簡素化

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