中学歴史 飛鳥時代の出来事や文化 まとめと問題

  • 2018.07.21
  • 歴史
中学歴史 飛鳥時代の出来事や文化 まとめと問題

今回の歴史は飛鳥時代の出来事や文化のまとめ、確認問題です。

6世紀に入り、大和政権の中で権力を持っていたのが蘇我氏や物部氏。聖徳太子(厩戸皇子)は蘇我馬子と協力し、天皇中心の新しい政治を行い、中国(随)に小野妹子を派遣しました。

聖徳太子の死後7世紀、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我蝦夷・入鹿親子を倒し、新たな政治を行うことにしました(大化の改新)。このときから土地や人を国家が直接治めるようになりました。

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飛鳥時代の年表

飛鳥時代の主な出来事の年表です。

593年 聖徳太子が推古天皇の摂政となる

603年 冠位十二階を制定

604年 憲法十七条を制定

607年 法隆寺建立、小野妹子を遣隋使として派遣

645年 乙巳(いっし)の変

646年 改新の詔(みことのり)を発布(大化の改新)

663年 白村江の戦い

672年 壬申の乱

694年 持統天皇が藤原京に遷都

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聖徳太子が行った政治

聖徳太子(厩戸皇子)は推古天皇の摂政となり、天皇中心の政治体制を整えていきました。6世紀に入ると豪族の蘇我氏物部氏が力を持つようになりましたが、蘇我氏は物部氏を倒します。聖徳太子は蘇我馬子と協力して政治改革を進めました。

摂政は幼帝、女帝、つまり子どもや女性が天皇となった場合に、その代わりに政務を行う役職です。飛鳥時代は推古天皇、皇極天皇(斉明天皇)、持統天皇と女帝が多かった時代です。

冠位十二階の制定

聖徳太子は603年に冠位十二階を制定、役人を選ぶときは家柄にとらわれずに、能力・功績を重視して採用するようにしました。

徳,仁,礼,信,義,智の6徳目を大小2種類で十二階

→紫,青,赤,黄,白,黒の濃淡(全十二色)の冠であらわした。

憲法十七条の制定

聖徳太子は604年、憲法十七条を制定しました。今のような憲法とは異なり、役人の心構えを示したものです。以下のようなことが書かれていました。

「和を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。」

→(人との)和を大切にして、いさかいを起こさないこと。

「篤(あつ)く三宝を敬へ。」

三宝(仏・法・僧)をよく敬いなさい。

「詔(みことのり)を承けては必ず謹め。君をば則(すなわ)ち天とし、臣(しん)をば則ち地とす。」

→天皇の命令を承ったらそれに従いなさい。天皇は天であり、臣下は地です。

法隆寺の建立

聖徳太子は607年、今の奈良県に法隆寺を建立します。法隆寺は世界最古の木造建築で、世界遺産にも登録されています。聖徳太子は仏教を広めようとしました。

遣隋使を派遣

随の進んだ政治制度・文化を国内に取り入れるため、聖徳太子は607年に小野妹子遣隋使として随に派遣します。

当時の随の皇帝は煬帝でしたが、遣隋使が差し出した国書に「日出る処の天子、書を没する処の天子に致す」という文面を読み立腹したとされています。

年号語呂合わせ

聖徳太子はコックさん(593)

群れよ(604)憲法十七条

群れな(607)して、遣隋使

飛鳥文化

7世紀頃の飛鳥時代の文化で、仏教の影響を強く受けています。建築物などに中国、朝鮮の影響を受けていることもうかがえます。

法隆寺(聖徳太子建立)→世界最古の木造建築物、世界遺産、釈迦三尊像百済観音像

飛鳥寺(蘇我氏建立)

高松塚古墳壁画

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大化の改新とそれ以後

645年、中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足が協力、権力を持っていた蘇我蝦夷・入鹿親子を倒し(乙巳いっしの変)、新しい政治改革を進めました。これを大化の改新といいます。(このとき初めて大化という年号が使われるようになります。)乙巳の変の翌年である646年に、改新の詔が孝徳天皇より発布されます。

年号語呂合わせ

乙巳の変でむしご(645)ろし

むしろ(646)大化の改新、重要

公地公民

大化の改新以後、公地公民(すべての土地と人民は国家のものとする)の制度が進められました。それまでは豪族が土地を持っていたこともありましたが、土地の私有は認めないとされました。

白村江の戦い

随の後中国をが統一しました。唐と朝鮮半島の新羅が協力、百済を滅ぼしました。日本は百済を助けようと軍を送りましたが、663年白村江(はくすきのえ/はくそんこう)の戦いに破れました。

天智天皇と戸籍

中大兄皇子は668年天皇に即位しました(天智天皇)。天智天皇は税をとるために全国に戸籍を作りました。

壬申の乱

天智天皇が亡くなった後、跡継ぎ争いが672年に起きました(壬申の乱)。

大友皇子(天智天皇の子)×大海人皇子(天智天皇の弟、のちの天武天皇

豪族が2派に分かれて争いましたが、弟の大海人皇子側が勝利しました。

この頃から大王を「天皇」、国を「日本」と言うようになりました。694年には持統天皇が都を飛鳥浄御原宮から藤原京に遷都(せんと)しました。

年号語呂合わせ

ろくなにん(607)げんじゃない、壬申の乱

【問題編】飛鳥時代・聖徳太子・大化の改新

問1 聖徳太子が摂政となったときの天皇はだれか。

答えを確認

問2 聖徳太子が制定したもので、役人の心得を表したもの何か。

答えを確認

問3 聖徳太子が制定したもので、能力や功績を重視して役人を登用し、冠の色でその位を表した制度は何か。

答えを確認

問4 聖徳太子が小野妹子を派遣した国はどこか。

答えを確認

問5 聖徳太子が建立した世界最古の木造建築物でもあるお寺の名前は。

答えを確認

問6 大化の改新を進めた中心人物2名の名前を答えなさい。

答えを確認

問7 土地と人民は国家のものとする律令制の原則を何というか、漢字4文字で答えなさい。

答えを確認

問8 唐と新羅が百済を滅ぼしたため、百済に援軍を送ったが結局破れてしまった。この戦いを何というか。

答えを確認

問9 天智天皇が亡くなった後、跡継ぎ争いが起きた。この争いを何というか。

答えを確認

問10 問9の戦いで勝利した大海人皇子は、即位して天皇になった。天皇の名前は?

答えを確認

まとめ

飛鳥時代の基本事項を確認してきましたが、いかがでしたでしょうか。特に以下のキーワードを確認しておき、説明できるようにしておきましょう。

◆重要キーワード【聖徳太子関連】

・推古天皇

・蘇我馬子

・冠位十二階

・憲法十七条

・遣隋使(小野妹子)

◆重要キーワード【大化の改新以後】

・中大兄皇子(天智天皇)

・中臣鎌足

・公地公民

・白村江の戦い

・壬申の乱

◆重要キーワード【飛鳥文化】

・法隆寺(釈迦三尊像、百済観音像)

・飛鳥寺

・高松塚古墳壁画

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