中学公民 人権思想の歴史まとめと問題

中学公民 人権思想の歴史まとめと問題

今回は人権思想の歴史に関するまとめと問題です。

基本的人権、自由権、社会権はどのように成立したのでしょうか。マグナ・カルタや権利章典、独立宣言、人権宣言、ワイマール憲法との関わり、ロックやルソー、モンテスキューの提唱した人権についても確認していきます。

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人権思想の歴史

中学公民 人権思想の歴史まとめと問題

今では当然のものと考えられている「基本的人権」は、13世紀に出された「マグナ・カルタ」や17世紀の「権利章典」で認められたものです。

基本的人権 … 人が生まれながらにもっている権利

権利章典や18世紀のアメリカの独立宣言、フランスの人権宣言では「自由権」、20世紀にはドイツのワイマール憲法で「社会権」という考えが出てきました。

自由権 … 国家権力によって侵害や干渉されることなく、自由な考えをもち、行動できる権利

社会権 … 人間が人間らしく生きる権利

人権思想のあゆみ(年表)

1215年 イギリス「マグナ・カルタ(大憲章)」

1642年 イギリスで清教徒革命(ピューリタン革命)

1688年 イギリスで名誉革命 →「権利章典」

1690年 イギリスのロック「市民政府二論(統治二論)」

1748年 フランスのモンテスキュー「法の精神」

1762年 フランスのルソー「社会契約論」

1776年 アメリカ「独立宣言」(独立戦争)

1789年 フランス「人権宣言」(フランス革命)

1889年 日本「大日本帝国憲法」

1919年 ドイツ「ワイマール憲法」(社会権)

1946年 日本「日本国憲法」(施行は1947年)

1948年 国連総会で「世界人権宣言」が採択

マグナ・カルタ(大憲章)

マグナ・カルタ大憲章)はイギリスで1215年につくられたもので、専制政治をしていたジョン王に対して、貴族・教会・市民の権利を認めさせたものです。

どのような自由人も法律や裁判以外で逮捕・監禁や財産を奪われることはないなど、人権思想の基礎となることが定められていました。

清教徒革命(ピューリタン革命)

チャールズ1世の専制政治に対し、クロムウェルら清教徒(ピューリタン)をが中心とした議会派がおこした反乱が清教徒革命ピューリタン革命)です。王は処刑され共和国がたてられましたが、クロムウェルの死後また王政に戻ってしまいます。

名誉革命と権利章典

ジェームズ2世の専制政治に対し、議会が国王の娘メアリとその夫オランダ総督ウィリアム3世を呼び、ジェームズ2世は亡命しました(名誉革命)。

この革命では血を流さなかったことから名誉革命(無血革命)と呼ばれています。

名誉革命のとき出された「権利章典」は臣民の権利と自由を宣言する法律であり、議会の同意のない法律や課税を王が決めること禁止しました。

ロック「市民政府二論」

イギリスのロックは「市民政府二論統治二論)」で抵抗権を主張しました。抵抗権は不当な国家権力の行使に対し、人民が抵抗する権利のことです。

モンテスキュー「法の精神」

フランスのモンテスキューは「法の精神」で三権分立を提唱、国家権力を一つの場所でなく分散させることを主張しました。

ルソー「社会契約論」

フランスのルソーは「社会契約論」で人民主権を唱え、国家の主権は人民にあり、政治を最終的に決定するの権利は人民にあるとしました。

アメリカの「独立宣言」

独立宣言はトーマス・ジェファーソンが起草、ベンジャミン・フランクリン、ジョン・アダムスが修正した、アメリカの独立戦争中に出された宣言です。独立宣言の中ですべての人間は神によって平等に造られ、生命、自由、幸福追求の権利が与えられている、と述べられています。

フランスの「人権宣言」

フランス革命時に出された人権宣言では、人は生まれながらに自由で平等である、と述べられています。

ドイツの「ワイマール憲法」

ドイツのワイマール憲法は初めて人間らしく生きる権利である社会権が書かれたものです。社会権がうまれた背景に、資本主義が発展する中貧富の差の拡大が問題視されたことがあります。

大日本帝国憲法と日本国憲法

1889年2月11日に発布された大日本帝国憲法でも人権は認められましたが、人権は天皇が臣民(君主に支配される人民)に与えたもので、法律によって制限されていました。

1946年11月3日公布、1947年5月3日施行された日本国憲法では、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義が憲法の三大原則とされています。

世界人権宣言

1948年に国連で採択された宣言で、人類は生まれながらに基本的人権を持っていることを公式に定めたものです。

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【問題編】人権思想の歴史

中学公民 人権思想の歴史まとめと問題

問1 イギリスで1215年につくられた、国王に対して貴族・教会・市民の権利を認めさせた文書を何といいますか。

→答え

問2 1642年、イギリスでクロムウェルら議会派が国王派と対立、議会派が勝利して共和国がたてられた革命を何といいますか。

→答え

問3 イギリスで名誉革命が起きた翌年、議会の同意のない法律や課税を王が決めること禁止した文書を何といいますか。

→答え

問4 イギリスのロックが「市民政府二論(統治二論)」で主張した、不当な国家権力の行使に対する権利を何といいますか。

→答え

問5 フランスのモンテスキューが「法の精神」で提唱した、国家権力を一つの人物や機関に集中させず、分散させることを何といいますか。

→答え

問6 フランスのルソーが「社会契約論」で唱えた、国家の主権は人民にあり、政治を最終的に決定するの権利は人民にあるという考えを何といいますか。

→答え

問7 1776年にアメリカで出された、すべての人間は神によって平等に造られ、生命、自由、幸福追求の権利が与えられていると述べられた宣言を何といいますか。

→答え

問8 フランス革命時に出された、人は生まれながらに自由で平等であると述べられた宣言を何といいますか。

→答え

問9 社会権(生存権)が世界で初めて保障された、ドイツの憲法は何ですか。

→答え

問10 大日本帝国憲法では、臣民の人権は何によって制限されていましたか。

→答え

問11 日本国憲法の三大原則は何ですか。

→答え

問12 1948年に国連で採択された、人類は生まれながらに基本的人権を持っていることを公式に定めた宣言は何ですか。

→答え

まとめ

・基本的人権 … マグナ・カルタ (大憲章)・権利章典

イギリスのロック「市民政府二論(統治二論)」→ 抵抗権

フランスのモンテスキュー「法の精神」→ 三権分立

フランスのルソー「社会契約論」→ 人民主権

・自由権 … 独立宣言・人権宣言

・社会権…ワイマール憲法

・大日本帝国憲法では臣民の権利は法律で制限

・日本国憲法では基本的人権の尊重、国民主権

・世界人権宣言(基本的人権を公式に認めた宣言)