中学歴史 江戸時代の身分制度とその目的まとめと問題

  • 2018.10.16
  • 歴史
中学歴史 江戸時代の身分制度とその目的まとめと問題

豊臣秀吉は刀狩令を出して兵農分離を推し進めていましたが、江戸幕府ではさらに厳しい身分制度になり、人々は武士、百姓、町人の身分に分けられました(以前は士農工商とも呼ばれていました)。

さらに武士や百姓の中でもさらに身分の上下があり、またその他にもえた、ひにんと呼ばれる低い身分も定められました。江戸時代の身分制度とはどのような身分制度だったのでしょうか。またそのような身分制度が定められた目的は何だったのでしょうか。

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江戸時代の身分制度とその目的

江戸時代の身分制度はどのような制度だったのか、またなぜそのような身分制度が作られたのか理由についても確認していきましょう。

江戸時代の身分制度

江戸時代には武士、百姓、町人の身分制度に分けられました。

武士…支配階級、帯刀と名字が許される。城下町に住む。

百姓…農村に住む人たち。農業、漁業・林業を営む人たち。

町人…都市(城下町など)に住む人たち。商人・職人など。

その他にも公家、僧侶、神職などがありました。さらにえたひにんと呼ばれる身分もあり、住む場所が制限された人たちもいました。

士農工商

以前は江戸時代の身分制度は「士農工商」と呼ばれていました。この呼び方だと身分が4つに分けられて、商人が最も低い身分のように聞こえます。最近は「工商」他城下町に住む人たちをまとめて「町人」とされています。

身分制度の目的

江戸時代では幕藩体制が敷かれましたが、支配階級である武士は全人口の1割にも満たない少数派でした(百姓は全人口の約85%)。少数の武士の支配力を高めるために、厳しい身分制度が定められました。

武士にはさまざまな特権が与えられたこと、重い年貢への不満が百姓から出ないよう、さらに低い身分が定められました。

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江戸時代の身分制度とくらし

武士、百姓、町人、えた、ひにんの身分の人たちはどのようなくらしだったのでしょうか。

武士

武士は江戸時代の支配階級であり、将軍から足軽まですべて武士です。武士の中でも身分の上下がはっきりとありました。武士には帯刀(刀を持つこと)と名字を名乗れるという特権がありました。

城下町の中でも城に近いところに住み、主君に仕えて行政に関わったり、軍役の義務がありました。忠義、名誉を重んじる武士道が課せられました。俸禄(ほうろく)として領地や米が与えられていました。

大名・旗本・御家人の違い

  • 大名】1万石以上の領地を俸禄として与えられた武家(藩主) → 親藩・譜代大名・外様大名
  • 旗本】1万石未満の将軍直属の家臣で、将軍に直接会える
  • 御家人】1万石未満の将軍直属の家臣で、将軍に直接会えない、馬や乗り物に乗れない

町人

町人は都市(城下町)に住む、商人や職人たちを指します。土地を持っている地主、屋敷を持っている家持(いえもち)、自分で持たない人たちは地借(じがり)、店借(たながり)と呼ばれます。

地主や家持から町役人が選ばれ、自治を行っていました。

町人には運上、冥加(みょうが)などの営業税が課せられましたが、百姓の年貢ほど大変ではなかったそうです。

百姓

農村に住み、農業や漁業・林業を営む人たちを百姓と呼びます。土地を持つ本百姓と、自分で土地を持たずに小作を行う水のみ百姓がいました。

本百姓から村役人が選ばれて自治を行い、年貢(主に米)を藩や幕府に納めました。村役人には名主(庄屋)、組頭、百姓代などがありました。

  • 本百姓】土地を持つ百姓、年貢を徴収。村役人に選ばれる。
  • 水のみ百姓】土地を持たない百姓。小作を行った。

百姓への年貢の負担は重く、四公六民(収穫高の4割が年貢)、五公五民(収穫高の5割が年貢)などがありました。

また年貢の納入、犯罪防止のために連帯責任をとらせる五人組の制度がしかれました。おきてを破ると村八分にされました。

農民は田畑の売買が禁止されていました。また1649年に慶安の御触書が出され、お酒やお茶の禁止、食べる物は雑穀、衣服も麻、木綿に制限されるなど、日頃の生活が制限されました。

えた、ひにん

えたひにんと呼ばれる、町人、百姓よりも低い身分が定められました。城下町や農村とは違う場所に住み、町人や百姓との交流も制限されていました。えたとひにんでは携わる仕事が異なります。

えたは皮革業、死んだ牛馬の解体、雪駄(せった)の製造、役人の下働きなどを、ひにんは芸能、役人の下働きなどをしていました。

【問題編】江戸時代の身分制度

問1 江戸時代に武士が持っていた特権を2つ答えなさい。

答えを確認

問2 武士が課せられていた、忠義や名誉が求められる厳しい道徳を何と呼ぶか。

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問3 百姓はどのような仕事に従事していたか。3つ答えなさい。

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問4 百姓は全人口の約何%だったか。

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問5 自分で土地を持つ百姓を何というか。

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問6 自分で土地を持たず、小作を行う百姓を何というか。

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問7 有力な本百姓は村役人に選ばれて自治を行った。村役人の役職名を3つ答えなさい。

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問8 百姓が収穫高の50%を年貢として納めることを何というか。

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問9 年貢の納入、犯罪防止のために、百姓に連帯責任をとらせた制度を何というか。

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問10 お酒やお茶の禁止、食べる物や衣服まで制限するなど、百姓に対して厳しいきまりが1649年に出された。このきまりを何というか。

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問11 年貢の確保のため、百姓たちは何をすることが禁止されていたか。

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問12 城下町などの都市に住む、商人や職人たちをまとめて何と呼ばれるか。

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問13 江戸時代、町で自治が行われていた。自治にたずさわった町役人にはどのような人たちが選ばれたか。

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問14 厳しい年貢など百姓の不満を抑えるために、百姓や町人より低い身分とされた人たちは何と呼ばれたか。2つ答えなさい。

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まとめ

江戸時代の身分制度と、そのような身分制度が定められた目的について確認してきました。

江戸時代の身分制度では、人々は武士と町人・百姓に分けられ、百姓は全人口の8割以上を占めていました。

武士には特権が与えられましたが、百姓は重い年貢が課せられたり、生活も制限されました。町人や百姓よりも低い身分を作って百姓から不満が出ないようにしていました。

特に百姓に関しては本百姓、水呑み百姓、五人組、村役人など重要な語句も多く出てきました。どのような人・ことを指すのか、答えられるようにしておきましょう。

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